Google

 


「リエゾン九州」設立の背景3
〜〜私とベンチャーとの関わり〜〜

 私がベンチャー企業と関わったのは、もうかれ20年前の第2次ベンチャーブーム
の頃からです。
第2次ベンチャーブームの前半の主役は技術系、後半は非技術系企業でした。
当時脚光を浴びたベンチャーにソードや電話の転送システムを開発した企業と、忘れましたがもう1社がいわゆる御三家のように騒がれました。
いずれも技術の革新性やシステムの革新性という面では現在のベンチャーとは比べものにならない程革新的でした。
 ところが、その後3社とも大手企業に吸収か、倒産し、表舞台から消えました。
唯一、ソードのみが東芝の傘下で生き残っています(のはずです)が、創業者の椎
名(?)さんはその後ソードを離れ、現在は秋葉原でパソコンショップメーカー・
プロサイドを開いています。余談ですが、同社のパソコンは玄人受けする品質のい
いもので、しかも低価格で提供しています。ダイレクト販売も行っており、私も一
度購入を検討したことがあります。
 このように華々しかった第2次ベンチャーブームもその直後からバタバタと、花
形といわれたベンチャーから潰れていきました。
 九州で第2次(あるいは2.5次)ベンチャーの生き残りといえるのは長崎県北松
浦郡の西日本流体技研ぐらいではないでしょうか。
 因みに全国でいえばアスキーやソフトバンクが第2.5次ベンチャーブームの頃の
ベンチャーです。2.5次というのは2次ベンチャーブームが去った後にもう一度起
こった小さな波というか、第2次の余燼みたいなものです。

 この頃から私はベンチャーの取材を続けていたのですが、興味はなぜ「宴の後」
になったのか、なにが問題だったのかでした。
失敗の教訓程役に立つものはありませんし、失敗は教訓化しなければなんら意味を持ちません。
 まず考えなければならないのは、その失敗は個に依存するものなのか、それとも
システムの問題なのかです。単純に個に依存する問題ならそれはせいぜい前車の轍を踏むな程度の戒めで事足ります。ところがシステム的な問題なら根底から変えなければ同じ過ちを何度も繰り返すことになります。
 余談の話が多くて恐縮ですが、H2ロケットの度重なる失敗は個々の部品の問題
というより、どうもなにかシステム的な欠陥があるように思えてなりません。

 物事を見る時に重要なのはパーツは全体の中で捕らえることであり、現在は歴史の中で把握するということです。
 私にとって幸いだったのは大学で哲学を専攻し、弁証法的論理学を研究したこと
でした。弁証法とは物事を静止した状態で捕らえません。生成、発展、消滅の過程
の中で捕らえます。つまり運動の中で捕らえるものですから、これほど現実社会を
認識するのに役立つ学問はないと思っています。

 いずれにしろ、この頃から興味を持ち、取材を続けていたので、今回の第3次ベ
ンチャーブームが仕掛けられた時にまず最初に思ったことは、第2次ベンチャーブ
ーム後を反省し、その失敗の教訓の上に立っての第3次ベンチャーブームの仕掛けなのかどうなのかということでした。
(*仕掛けられたベンチャーブームに関しては「栗野的視点」を一読してく
ださい)
 それで当時の通産局に取材に行ったのが今回のベンチャーブームと直接的に係わることになったきっかけです。
 その時に分かったのが、資金面の整備はかなりの部分行われているということでした。ただ、準備されているのは大きな金で、実際にベンチャーが必要とする資金は億ではなく数千万、場合によっては1千万円以下の小口です。問題はその小口資金を以下にスムーズに出すか、それも担保なしで、です。
 その部分が欠けている(用は運用の問題なのですが)と感じたのと、ベンチャー
が最も望んでいる販路面のサポートが皆無だということでした。さらに士業を揃え
て会社経営のサポートをする体制を築いているが、これはベンチャーの段階に応じたやり方が必要で、畳の上の水練は必要ないと思っています。ひと言でいえば、必要なものを必要な段階で、必要なだけ提供できるかどうかです。これは運用の問題で、非常にきめ細かなやり方が必要になりますが、それを行政に望んでも仕方ないことです。
 こうしたことが伏線になり、リエゾン九州の立ち上げへと私自身が動かされてい
きました。
 



トップページに戻る リエゾン九州INDEXに戻る