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「リエゾン九州」設立の背景4
〜〜産業の空洞化をいかに防ぐか〜〜

窓際に追いやられる個性的な人材
 私が取材活動の軸足を技術系企業に大きく移したのは90年からでした。
当時、私の頭の中を占めていたのは円高・海外移転・国内の産業空洞化にいかに対応するかということでした。
 日本人の悪いところは極端に振れることです。その頃、野村総研でさえ円が100
円を切ると言っていました。石油危機の時のトイレットペーパー買いのパニック、
バブル期の異常な土地投機に株投資・・・。このようにある局面で振り子が反対側
に極端に振れるのが日本人の悪い癖です。
とにかく日本人は皆で同じ方向に進むのが好きな民族のようです。一致団結して進む。こうしたやり方は単純攻撃の時には強さとなって表れます(例えば半導体のメモリー生産に当初、日本が圧倒的な強さを発揮したように)が、変化の時代や守勢に入ると逆に弱さに変わります。
バブル期のような時にはとにかくイケイケドンドンでステロタイプの人間が大挙して進めば、それこそ頭を使わなくてもある程度の成果を上げることが出来ました。それが一転して低成長になると、国も学校も企業もステロタイプの人間ばかりを育ててきたものだから、そのツケが回って、違う角度でモノを考えられる人間などは皆無なのです。ユニークで個性的な人材は窓際か子会社に追いやられているわけですから。

教育改革は教員の一掃から
 またまた余談ですが、もし国が本気で教育改革を考えるなら、まずしなければならないことは、思考力より記憶力、個性より協調性を重視する教育で育てられた現在の教員(敢えて教育者とは言わない)をまず一掃する(はできなくても、最少でも1/3を入れ替える)ことから始めるべきでしょう。彼ら自身が没個性で画一的な考え方しかできないのだから、その彼らに教えられる学生が変わるはずはないでしょう。
 ともあれ、このような状態に危機感を感じた私は'94年春に「企業の経営哲学を構築せよ」と題した一文を、当時リクルート九州支社が経営トップ向けに発行し、私が企画・編集をしていた「FACE・ONE」に書きました。
 以下に一部抜粋します。
「多くの組織に個性的な人材はほとんどいないのが実状である。なぜなら、和、協調性を重視するあまり、個性、創造性より、明るくて元気がよく、協調性がある、ある意味で毒にも薬にもならない人材ばかりを企業が求めてきたからである。それでも捜せば30代〜40代の社員の中にわずかだがいるはずである。もちろん将来を嘱望される地位になど付いていないだろう。むしろ窓際で肩たたきにあっているかもしれないし、希望退職(して欲しい)予備軍名簿の中に密かに入れられているかもしれない。いずれにしろ厚遇されていないのは間違いない。そういう人材を発掘して、再び活躍する場を与えてやることだ。名馬を見いだそうとすれば、まず自らが名伯楽になることだ」

自分にできることは
 話が随分横道に逸れましたが、円高で海外移転と言っても、海外に移転するにも資金がいるわけで、大手はいいけど下請けのそのまた下請け、いわゆる孫請け辺りの中小企業は海外に移転しようにも移転する資金もありません。仮に会社が行くといっても、長年務めている従業員まで一緒に行くかというと、それは難しいでしょう。
 では、どうすればいいのかというと、結局、現在地で生きていかなければいけないわけです。そうすると、恐らく中小企業の大半は国内に残されることになります。
 ところが、日本は中小企業が支えている国です。それなのに、その中小企業が生きていけないような施策はどう考えてもおかしい。中小企業が生きていけるようにすべきです。そのために、私に何ができるのか。

キラリと光る技術の紹介
 そう考えて始めたのが「九州テク・テク物語」でした。
「テク・テク」とはハイテク・ローテクの略であり、てくてくと歩くように地に足をつけた経営を行っている会社の技術を紹介していこうと考え、その企画を地元の経済誌に持ち込みました。
 技術のことを紹介するのに技術関係の雑誌ではなく一般経済誌を選んだのです。
それは当初から商品販売や技術交流のことを考えていたからです。一般的には技術の紹介は工業系の新聞とか雑誌でするのが普通でしょう。ところが、日刊工業新聞を読む層は技術関連の会社が中心です。そんな人達がいくら読んでも商品は売れません。読者がユーザーではないからで、ユーザ−に読ませなければ意味がない。そう考えたから、当初から一般経済誌を選んだのです。もう一つの理由は企業のトップは技術系とは限らないということです。技術の細部は分からなくても、経営の勘でこの技術は自社の商品に使えるのではないかとか、これは面白そうだからうちの技術者に交流に行かせようと考えるはずだと思ったからです。
 いずれにしろ、そういう目的で九州の技術系企業の取材記事を連載しました。
まず、心掛けたのが会社の紹介ではなく技術の紹介をすること。
技術系企業の紹介というと、すぐ専門用語を使ったり、ことさら難しい言い回しをして得意がる書き手の輩がいるが、そうではなく、できるだけ平易に分かりやすく書く。
 地方の埋もれた技術・製品を発掘する。
 こうした考えで連載を4年間続けましたが、結構大変で、労力と原稿料を比較すればあまり割に合う仕事ではありませんでした。だが、連載をやめたのは媒体がなくなったからでした。

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