デル株式会社

 


 デジカメとクオーツとメード・イン・ジャパン


栗野的視点(No.693)                   2020年6月25日
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デジカメとクオーツとメード・イン・ジャパン
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 前回、スマートウォッチ(アンドロイド系)は中国勢の独壇場だと書いたが、日本メーカーも作ってないわけではない。いち早く作ったのはソニーで、その後、カシオもシチズンもスマートウォッチを出しているが、メーカーの特性がはっきり表れているところが面白い。

 ソニーのスマートウォッチは電子製品。ベルト部分に電子マネー機能を組み込んだもので、ウォッチは別売り。対するシチズン、カシオのスマートウォッチは時計にスマート機能を付けたもので、「スマート」部分に重点を置いている。
 ただ、価格と機能がなんとも中途半端。その価格では要らない。その機能が付いているだけで、その価格では売れないだろうというようなものばかり。
 もう日本メーカーには消費者の欲求をくすぐるような魅力的な商品も、中国メーカーのようなビックリするような低価格商品も作れないのだろう。

 と、まあ、そんなことを考えている内に既視感を覚えた。似たような動きを過去にも見たことがある、と。そう、クオーツ時計とデジタルカメラが辿った道筋を思い出したのだ。

 スマホのカメラ性能がどんどん向上して行った結果、まずコンパクトデジカメ市場がなくなった。あれだけ一世を風靡した市場がほぼ消滅したのだから、当時は誰も想像しなかったに違いない。
 デジカメ市場は日本メーカーのほぼ独占市場だったが、次々にコンデジ市場から撤退し、残ったメーカーは中級機以上の高価格帯にシフトしたが、デジタル一眼を含めデジカメ市場そのものが縮小の一途を辿っている。

 その煽りを最も受けているのがカメラ市場以外に有望な市場を持たないニコンで、今や存亡の危機に立たされていると言っていい。残された道はプロ相手に特化した市場で細々と生き残りを図るか、カメラ以外の新市場を開拓するしかないが、後者は時間がかかる。それまでニコンの体力が持つかどうか。

 逆にパナソニックは今頃フルサイズのデジタル一眼カメラに参入したが、もともとこの分野はキャノンとニコンの2強市場。そこにソニーがミラーレスで殴り込みをかけ、2強を脅かしそうな存在になっているが、まさかソニーに倣おうとしているのだろうか。
 市場が拡大している時なら分かるが、カメラ市場におけるパナソニックの知名度、ブランド力から言って縮小市場に割って入って生き残れるとは思えないが。

 一方、オリンパスは年内にカメラを含む映像事業を切り離すと6月24日に発表した。赤字が続く事業で、今後も市場の拡大を見込めない以上、オリンパスの選択は正しいだろう。オリンパスは内視鏡分野で高いシェアを誇っているし、収益性も高く、伸びる市場だから経営資源をそちらに集中させるのはいい選択だ。

 もう1つの既視感は時計市場。クオーツ時計で日本勢が我が世の春を謳歌したのもそう長くはなかった。スマホの登場で時計を身に着けない若者が増え、量産型のクオーツ時計は価格の低下もあり、売り上げ、利益ともに下降線。
 一方、日本メーカーが「勝った」と思ったスイスの時計メーカーは機械式の高級時計を作り続け、駆逐されるどころかしっかり生き残っていた。

 日本メーカーも低中級路線から高級路線へと舵を切ったが、時計職人の育成をしてこなかった(むしろ辞めさせていった)ため、今更高級路線への転換と言ってもスイスメーカーと太刀打ちできるはずもない。
 結局、時計市場、デジカメ市場ともに同じ道を辿った。

 思うに日本のモノづくりが凋落したのはメード・イン・ジャパン(made in japan)「神話」に踊らされたせいだろう。「made in」と言いつつ、その実「assembly(組み立て)」になっていたにも拘らず、表面上made inの「日本製」を装い、量産品を作り続け、熟練技術者、技能者も「コスト」としてしか見てこず、後継の育成どころか退職を促してきた結果と言える。

 結局のところ日本メーカーが得意なのは量産技術であり、そこに頼ったから新商品投入サイクルを短くし、結果、市場に商品を溢れさせ、商品と市場を短命に終わらせてきた。その同じ道を今、中国メーカーがよりスピードを速め走っている。

 人間とは欲深いものである。環境問題が叫ばれようと、資源の枯渇が指摘されようと、大量生産・大量販売を決してやめようとしない。
 ユニクロは銀座に2号店となる大型旗艦店をオープンさせるし、アマゾンは人々の嗜好を調べて商品案内を次から次へと送り付けて来る。
 消費者はといえば一度手に入れたコンビニエンス(手軽な便利)生活を手放そうとはせず、田舎移住はごく少数の人々に留まり、COVID-19以後も都会への人口集中は止まらないだろう。
 哲学者でも思想家でもなく、人々に金を使わせる人がエライ人と尊敬される時代。哲学はますます廃れ、人の心は荒廃していく−−。



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