高校の科目ができない大学生
大学進学率が54.67%(2019年)の日本で識字率が低下しているというのは奇妙に思われるかもしれない。高校卒業者の半数以上が大学に進学しているのだから、識字率がアップしているならともかく低下はあり得ないだろう、と。
ここで思い出していただきたい。大学入学者の学力が落ちている、と報じたメディアの記事を。これは今年や昨年の話ではない。それ以前から言われ続けてきた。近年は入学後に高校授業の「復習」をしている大学が結構存在していると言われている。
大学に入って高校の授業?と奇異に感じられるかもしれないが、そうしないと大学の授業について行けない(大学の授業が理解できない)から、大学側としてはそうせざるを得ないようだ。それぐらい高校卒業生の学力が落ちているということだ。
要はベースとなる国語力の低下が全ての分野に影響を及ぼしているわけで、その傾向は強まりはしても弱まりはしないだろう。そうなった原因の3つ目はスマートフォンの普及と無関係ではないからだ。
掌に小さなコンピューターを握っていれば、どんなに難しい言葉でも瞬時に意味が分かる。常に電子辞書を持ち歩いている人がいて、「これさえあれば東大でも合格できる」と嘯いていたが、あながち間違ってはいない。今はそれにスマートフォンが加わったから、電子辞書とスマートフォンがあれば大抵の問題は解けるかもしれない。
その結果どうなったか。識字率が下がり現代文盲が増えている。文字を書かなくなった(書く機会が減った)から「読み書き」の「書き」ができなくなったのは容易に想像がつくだろう。
漢字を読めない層が増加している
では「読み」の方はどうか。ここで敢えて元総理を引き出すまでもないだろうから別の例を。
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のことが連日報道され「コロナ禍」という言葉は誰もが聞き知っているはず。にもかかわらず、この字が読めない人が案外存在していると知ったのは、つい最近のことだ。
某芸能人というかタレントが「コロナうず」と映画だか何だかの発表会の席上で言ったのだ。それに対し「私も”うず”と言っていた」という書き込みがネット上で見られた。言うまでもないだろうがコロナ「か」である。
たしかに「禍」と「渦」は一見似ているし、彼は「コロナか」という言葉は聞いて知っていたはずだ。耳では知っていたが文字では「コロナか」ではなく「コロナうず」と読んでいたわけで、耳と目が連動していないというか「禍」という文字が読めなかったのだ。そして、こうした例は増えている。
似たような例をもう一つ。岡山県に「美作」という地域がある。ちょっと歴史をかじった人なら知っていると思うが、古くには「美作の国」と呼ばれた、現在の津山市を中心とした県北東部の地域である。
現在は美作市という市まで存在しているにもかかわらず、地元の人で「美作」を「みまさく」と読む人が結構な数いる。正しくは「みまさか」である。それをいつの頃からか「みまさく」と読み、自分達が住んでいる市の名前を「みまさくし」と発音しているのだから驚く。
こう発音している人は学歴とは関係なく、その地で生まれ育っている人でも「みまさか」と読めずに、平気で「みまさく」と発音する人が増えている。地元商工会議所の副会頭までが「みまさく」と言ったのに、さすがにそれはマズイだろうと思い「みまさか」でしょと指摘すると「古くは”みまさく”と言っていた時期がある」と言ったのには驚いた。
ここまでくれば無知(恥)としか言いようがないが、この種の「文盲」が近年増えつつある。
地元の人が「美作」を「みまさく」と言い出したのは、実は比較的最近になってから、恐らく平成の大合併で「美作市」が誕生して以後だと思われる。それ以前に人々が「みまさく」と言うのを聞いたことがない。
では、なぜ突然、地元の人達が誤った読みで話し始めたのか。耳ではなく目で読み始めたからだ。どういうことかといえば、美作市誕生以来、市報をはじめ各種通知に「美作」という文字の表記が増え、人々がこの文字を目にする機会が格段に増えたことで、「作」の字を字面通りに「さく」と読み始めたのだ。
今までは耳から入った語で聞いていたのが、目から入って来る字を読むようになったから、こうしたことが起きているわけで、文字が読めない文盲ではなく、文字そのものは読めるが正しく読めない「新・文盲」が全世代で増えている。
(3)に続く

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