デル株式会社

 


目を覆いたくなる政治家の質低下(1)
〜「Go to Localキャンペーン」を(2)


「ケンケンガクガク」の議会

 さて、冒頭の集会は市長派か反市長派かの出陣式(?)だったのだろうが、同級生が推す反市長候補の演説を聞きに行った。有権者でもない私が行ったところで関係ないが、参加者は1人でも多い方が気勢が上がるだろうから、枯れ木も山の賑わいで出かけた。
 ところが応援演説も立候補者の演説も私の目には共に問題ありだった。演説内容から言えば立候補者より市会議員の応援弁士の方がよかったが、戦術面で疑問を感じた。現市長のことを「あの人は頭がいいから」と演説中に3回も「持ち上げていた」。もちろん褒めているわけではなく、「だから皆騙される」と言っているわけだが、聴衆からすれば、頭が悪い人より頭がいい人が市長になった方がいい、と考えるだろうし、頭がいい人が考え、実行する政策だから間違いないだろうと、受け取られかねず、この応援演説は逆効果だったのではないかと感じた。

 肝心の市長候補の演説は具体的な内容が何一つなく、当選後のビジョンも全く語られなかったのにはちょっと驚きも落胆もした。「これでは当選しないだろう」と思い、応援弁士、市長候補の演説内容の訂正を同級生に進言しようかと考えたが、さすがに差し出がましいので、それはやめた。
 ただ、市長候補者が演説中に3度ほど「喧々諤々(けんけんがくがく)」と言っていたので、演説終了後、そっと本人に近付き「喧々諤々と何度か言われていましたが、正しくは侃々諤々(かんかんがくがく)ですから」と耳元で囁いたが余計なお世話だったか。

 因みに「喧々」とは騒がしい、やかましいという意味で、用語としては「喧々囂々(けんけんごうごう)」となり、口やかましく騒ぎ立てる様、たくさんの人がやかましく喋る様を表す。
 一方の侃々諤々。「諤」は正しいことを遠慮せずに言うという意味で、「侃々諤々」とは皆が率直に意見を述べて議論する様を表している。
 「喧々諤々(けんけんがくがく)」は喧々囂々(けんけんごうごう)と侃々諤々(かんかんがくがく)を合わせた誤用だが、近年、やかましく騒ぎてる議論ばかりが多いのか「喧々」と「諤々」がくっ付き、誤用のまま、そうとは知らずに使っている人が結構多い。

 まさか先の立候補者は誤用と知りつつ「集まって騒ぎ立てるだけの議論が多い」と皮肉を込めて使ったわけではないと思うが、もしそうなら大したものだ。
 しかし、私の耳打ちに「あっ、そうでした。侃々諤々でした」と即座に認めたから、そこまで深い意味を込めて皮肉ったのではないだろう。
 ところで市長選の結果である。両候補とも政策も中身もない演説なら「頭がいい」方へ投票しておこうかとなるだろう。結果は予想した通りに現職の再選で終わった。

「Go to Localキャンペーン」の実施を

 地方の選挙なんてこんなものだ、と言われるかもしれないが、古今東西、政治(政権)を変えてきたのは地方、辺境の反乱である。中央を変えるために、中央政権を奪取するために、まず地方を変えなければならない。地方から変革の狼煙を上げる必要がある。
 そのためにも地方選を軽視すべきではないし、地方選にもっと力を入れるべきだと考えるが、その好機がもしかすると来るかもしれない。
 きっかけはCOVID-19によるテレワーク、リモートオフィスの導入で、地方への人の移住がどの程度進むかだ。

 テレワーク、リモートオフィスは言われている程いいものではない。現在はプラスの側面のみ強調されているが、しばらくするとマイナスの側面がどんどん表面化してくるだろう。それでも企業が本気になれば、一部では地方移住が進むに違いない。

 「県をまたいだ移動は自粛して欲しい」ではなく、今こそ逆に「地方へお出で下さい」「Go to Localキャンペーン」を積極的にやるべきだ。
 吉幾三に依頼して「おいらは地方へ行くさ」とキャンペーンソングを歌ってもらえばいい。今、電波もネットワーク環境もない地方などないのだから。それぐらいの発想転換ができないものだろうか。



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