「コロナ」が変えた社会(Y)〜浮き彫りにした人間の本性・身勝手さ(1)
〜言行不一致が多過ぎる


栗野的視点(No.735)                   2021年5月16日
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「コロナ」が変えた社会(Y)〜浮き彫りにした人間の本性・身勝手さ
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 「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)」が猛威をふるい、我々の世界は一変してしまったが、最も変わったのは人間の心だろう。いや本性を顕わにさせたというべきかもしれない。
 誰も彼もが自分のことしか考えてなく、こうも醜いとは。政治の世界を含め、各界のリーダーと目されている人ほど自分勝手に振る舞い、それを指摘されると手前味噌な弁明ばかり。なぜ日本社会はここまでひどくなったのか。

言行不一致が多過ぎる

 世界的なCOVID-19の蔓延以来、声高に言われ出したのが「人の接触を減らせ」「三密を避けろ」「マスクをしろ」「大人数での会食はやめろ」という言葉だ。それが今では「三密」どころか「二密」「一密」もダメと「密」そのものを禁じるまでの言い方にエスカレートしたかと思えば、「ジンリュウ」なる言葉まで生まれ、盛んに言われている。

 一体何かと思えば「人の流れ」のことらしい。人を川か水のように例え、その流れを止めろと言う。人の「移動」と言わず「人の流れ」と言うところに政治家や学者風情(ふぜい)のエラそうな態度が見える。
 移動と言えば自主的、主体的な動き、人の意思が働く動きだが、流れには意思が含まれない。つまり人の移動や動きを「ジンリュウ(人流)」と呼ぶ場合、そこに意思を持った人間は存在しないということであり、専門家や政治家ごときは国民を無機質なモノと同じように捉えているわけで、これほど腹立たしいことはないだろう。

 腹立たしいと言えば、国民にマスク着用を半強制しながら、選挙運動ではマスクではなく口元を透明のプラスチックで覆うだけのマウスガードをし、挙句には支援者が大勢集まった「密」状態で、マウスガードのまま大声で「バンザイ」とやっている市長選、知事選の当選者。
 さらにTV討論会では出演者と出演者の間に横に透明のアクリル板を置いただけの仕切りをしてはいるだけで、前方にはなし。そんなガードでは役に立たないということは、彼ら専門家がスーパーコンピューター「富嶽」を使って実験して見せたり、口を酸っぱくして我々に説いているではないか。

 その実験結果は虚偽なのか。
それとも国民に対する脅しなのか。
そんなアクリル板程度で本当に感染は防げるのか。
スタジオの換気は十分されているのか。

 その辺りのことを出演している専門家自身はどう考えているのか。
自分は専門家だから例外だと言うのか。
言行不一致ではないかと、尾身氏に聞いてみたいが。

 「専門家」や政治家、TVはとかく国民の外出、「密」を問題にするが、自分達の対応、態度がそういう状態で、国民にだけ強制しようとするから若者に見抜かれる。
 こういう時ほど率先垂範が必要で、彼らが殉教者のような態度で、教条的に身を律していれば、すなわち食事は個食か、数人で会食しても食事中は一切言葉を発せず短時間で食べ終え、食べたら即マスクをする、仕事はその場所に出かけなければできないことなのか、出かけなくてもできる、つまりオンラインでもできることなのかを自らに厳しく問い、不要不急の外出は一切しない。
 当然TV討論会などはオンラインで十分可能なはずで、そこまで自らを律していれば人は専門家や政治家の言うことを聞くだろう。

 とにかくメディアも政治家、専門家もやることなすことが矛盾だらけ。これでは彼らの言うことを信じない、聞かないのは当然だろう。
 だから私はバカバカしくなってTVも新聞も見ないし、都会を離れ、田舎で仙人生活をしている。
                            (2)に続く

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