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福岡地震の影響とその後


 福岡地区を襲った地震はその後も余震が続いているとはいえ、急速に地震の規模は小さくなっているようであり、ひとまず危機は脱したかのように見える。
 ただ今回の地震でいくつかの教訓と問題点も浮かび上がってきた。

日本国中地震空白地帯はない。

 むしろ最近は比較的地震が少ないと言われてきた地域でこそ地震が起きているという事実。
 天災は忘れた頃にやってくる。備えあれば憂いなし。
この2つの格言を思い出した。
それと同時に喉元過ぎれば熱さを忘れる、も。

 我が家も取り敢えず棚の上の危険なものを最低限下に降ろしてはいるが、とても十分とはいえない。
何分荷物が多すぎるのと収納スペースが少ないので、なんとかしたくても出来ないというのが実状だ。
特にマンション住まいでは多くの所が似たような状態ではないだろうか。
根本的に収納の仕方を考え直す必要がある。

 だが、防災グッズは役に立つようだ。食器棚なども防災用扉というのか、揺れると扉にロックがかかるものがあるらしく、中に収納したものが床まで落ちずに随分助かったという報告を聞いた。

災害時には電話よりメール。

 地震直後には非常通話を確保するため携帯電話、固定電話には通話規制がかかり、かかりにくくなる。
 ところが、私自身今回実感したが、携帯が通じないので携帯メールを送るとすぐ相手からもメールが返ってきた。
 通話には規制をかけてもメールの送受信には規制がかからないようだから、災害時には携帯メールが役に立つと覚えておくといいだろう。
その次が公衆電話。固定電話より通じるようだ。

余震の震源地が福岡市内に近付いている。

 今回の地震は警固断層とは関係ないと専門家は言っているが、警固断層の延長線上に震源地が位置しているのは間違いない。
しかも、その震源地は確実に陸地、つまり福岡市内の方に近付いているのだ。
 地震から2日後に起きたマグニチュード5.1、震度4の余震のようなものが、さらに陸地に近いところで起き、もし警固断層と繋がったら、と思うと不安は募る。

ノーテンキな役人

 最後に最も問題だと思うのが一部役人の態度だ。
福岡市を地震が襲った20日の午後8時半頃、3回目の災害対策本部会議を福岡市庁舎で開いた後、中元副市長は持ち込んだ焼酎を市庁舎内で飲み出したというのだ。
玄界島の人達が福岡市内の九電記念体育館に避難し、不安な夜を過ごそうとしている最中にだ。

 しかも、9時過ぎにはさっさと帰宅したというではないか。
一般職員は夜11時頃まで仕事をしているというのに。
翌日の記者会見の席でもさほど悪びれた様子も見せず、笑いながら陳謝していたのがなんとも印象的だ。
 因みに市庁舎内での飲酒は禁じられている。
禁じられているからということではなく、普通の感覚を持っていれば、このような時に酒を飲み、9時頃「お先に」(と言ったかどうか知らないが)と公用車に乗って帰宅したりはしないだろう。
 この問題をマスコミなどもあまり追求しないのは不思議だ。

05.3.29


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