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ベンチャー企業・ケイビーの末路

 「ケイビー」という社名を目にして、この会社の取扱商品が何かご存じの方はどれぐらいいるだろうか。少なくとも九州に。
ケイビーといっても警備会社のことではない。れっきとした店頭上場会社である。それも九州初の。業務内容は冷凍食品の卸。
 同社が一般に広く知られるようになったのは居酒屋チェーン「北の家族」を傘下に収めた時。「北の家族」は九州では馴染みが薄い居酒屋チェーンだが、居酒屋チェーンとしては大手だった。過去形で書いたのは昨年、倒産したからだ。現在は別の支援先の下、経営再建中と聞くが詳細は知らない。
 ケイビーは1昨年、取引先2社の解散で72億円余りの不良債権を抱え込み業績が急速に悪化し、2002年1月に民事再生法の適用を申請し再建を試みたが、結局、破産宣告を受けた。
 そんな古いニュースを持ち出してどうするのだと言われそうだが、3月3日、雛祭りの日に同社の元会長・長谷川浩氏ら旧経営陣3人が東京地検特捜部に逮捕されたのだ。逮捕容疑は406億円の粉飾決算。
 いずれも九州ではあまりマスコミの扱いが大きくなかったが、実はケイビーの創業は1966年。北九州市若松である。元北九州市職員(正確には合併前で若松市役所職員だったと思う)だった長谷川氏が脱サラして起こした会社で、チルド食品を開発して伸びた会社だった。
 チルドというのは冷凍と冷蔵の中間で、いまでは冷蔵庫にチルド室、パーシャル室などが付いているのは当たり前になっているが、当時は凍らせないチルドという概念は画期的だった。いまは冷凍食品花盛りだが、時間をかけてゆっくり冷凍すると食物の繊維が破壊される。これは解凍に際しても同じことがいえる。
 つまり、おいしさをそのまま保つには急速冷凍・急速解凍が必要なわけだが、問題は家庭で行う解凍である。いまのように電子レンジが普及すれば急速解凍も問題ないのだが、当時は解凍しても味が変わらないようにするのは大変で、それを解決したのがチルドという概念だった。
 これこそ逆転の発想。たしか当時はニチレイなど大手にもこうした発想はなく、同社のほかは徳島のカトキチが同じことをやっていたように記憶している。
 今から20年近く前、私は若松の本社(当時は若松に本社があった)で長谷川社長を取材し、工場の仲間で見学させてもらったことがある。小柄な人だったが、いまでも印象に残っているのは「私は九州は嫌いだ。特に北九州は」という言葉だった。理由は分からなかったが、もしかすると同氏が公務員を辞め脱サラしたことと関係があったのかもしれない。
 自分の故郷を嫌った長谷川氏が本社を東京に移したのは、私が取材してから数年後。たしか翌年には営業本部を東京に置くということで本人は北九州を去っていった。それから1、2年後には完全に移転してしまった。全国展開ということを考えれば東京に本社を移した方がいいのかもしれないが、「九州は嫌いだ」と言った氏の言葉を併せて考えると、なにか悲しいものを感じたのは私の感傷だけだったろうか。
 その後は拡大路線をひた走り、その行き着く先が粉飾決算で逮捕である。長谷川氏は個人的に好きな経営者だった。もう一度会いたいと思っていた経営者だった。それだけに、なんとも悲しい思いがする。
 ケイビーは第2次ベンチャーブームの頃のベンチャー企業である。M&Aで会社を大きくしていった。まさに絵に描いたようなベンチャーの成功者だった。
 それにしてもなぜ九州の経営者は東京を目指すのか。東京に進出して成功した企業は非常に数少ないというのに。なぜ、地方の企業が首都圏に進出すれば失敗するのかについては稿を改めることにするが、「ナンバーワンよりオンリーワンを目指す」と口で言う経営者は多いが、やはりいまだに拡大主義、売り上げ至上主義の呪縛からは逃れられないようだ。こんな時代だから言うのではない。私は20年前から取材の度にそれを言い続けているが、いつも何をバカなことを言う、という目で見られる。でも、もう一度そのことを真剣に考えてみる必要があるのではないか。本当に「大きいことはいいこと」なのか。でも、その一方でオンリーワンになるためには、売上高ではなく、利益のいい会社になるためにはどうすればいいのかを真剣に検討する必要もあるが。どこもここもナショナルブランドばかりでは面白くないではないか。


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