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米で30店舗を展開する日本人経営者は
20歳で単身渡米し、起業した若者だ。
イースト(ニューヨーク)社長・若山和夫氏


 あの家に住むのは俺だ
 TVのララミー牧場を見て直感


 いま日本はベンチャー花盛りである。これでもかといわんばかりに公的な支援制度が整備され、起業を助けている。そのせいかどうか、温室育ちのひ弱なベンチャーが育っているのが現状だ。
 ところが、いまから30年前、ベンチャーという言葉すらなかった時代に、アメリカに単身渡り起業した男がいる。渡米した時、彼は弱冠20歳だった。3月15日、専門学校の卒業式が終わると、友人達に別れを告げ、その足で横浜から船に乗りアメリカに向かったのである。
 「なぜ、アメリカかって? 自分でもよく分からないが、卒業したら当然、アメリカに行くものだと思っていた。子供の頃、テレビでララミー牧場を見て、あの家に住むのは俺だ、とごく自然に思っていたから」
 ホテル関係の専門学校を卒業しているから、当初はホテルマンを目指したのかと思ったが、少し違っていた。「ホテルの経営者になりたかった」のだと彼は事もなげに言う。
 渡米後就いた仕事はレストランの皿洗い。金を貯めるのもままならない生活である。それでも、毎日、ホテルを見上げながら、早くあんなホテルを経営できるようになりたい、と夢を馳せたのである。
 イタリア系レストランで働いていた時のことである。ある日突然、オーナーから「お前をコック長に任命する」と言われる。それまで皿洗いをしていたのが、いきなりコック長である。驚かない方がおかしいが、理由は簡単だった。それまで働いていたコックが全員辞め、彼しか残っていなかったのだ。
 「ご飯も炊いたことがない」というほどだから料理の経験は皆無である。そんなことにはお構いなしに、客が入れば厨房に注文が来る。来れば作らなければならない。やむなく「ウエイトレスに作り方を聞きながら」調理。「この方法だとすぐ作り方を覚えますよ」と笑う。もともとくそ度胸はあったのだろう。「調理をさせたらいまでもうまいし、自分が調理場に立てば絶対店は流行る」と彼は自慢する。レストラン事業が性に合っているのだろう。
 もちろん、調理といっても一からするわけではない。すでにアメリカでは半加工食品が作られており、あと少し手を加えるだけでよかった。この時「レストランとはこんなに簡単なのか」と思い、以後、目標をホテル経営からレストラン経営へと変えた。


 アメリカではウエストは田舎者
 東部に因んで店名をイーストに


 1号店はフィラデルフィアにオープンした。ここを「第2の故郷」だと言うのは、ここでレストラン経営のノウハウを身につけたからだけでない。文字どおりアメリカにおける彼のスターティングポイント、原点になった場所だからだ。いまでもフィラデルフィアに行くと心が休まると言う。
 その後、ニューヨークに移り、アップタウンと呼ばれる高級住宅街に1号店を、次いで2号店居酒屋イースト、3号店焼鳥イーストと次々にオープンしていく。そのほか、おでんイースト、立喰そばイースト、カラオケの店ジャパス、さらに最近はジャパニーズ・ファーストフード「テリヤキボーイ」が人気である。ニューヨークを中心に現在29店舗展開している。
 もうお分かりだと思うが、彼はイーストの経営者・若山和夫氏である。因みにイーストは北部九州を中心に焼肉・うどん店などを展開するウエストの子会社であり、店名のイーストは(社名はイーストボーイ)アメリカ東海岸を中心に店舗展開しているからだとも、アメリカは東部(イースト)が都会で、ウエスト(西部)は田舎者の代名詞としても使われるから、ウエストではなくイーストにしたなどの説がある。しかし、正確なところは当の若山氏自身の口からも聞かれなかったので分からない。


 イーストが成功しているのは
 アメリカ人に和食を食べさせるから


 ニューヨークは想像以上に日本人の多い都市である。そのせいか、滞在中は香港にいるような不思議な錯覚を覚えていた。それ故、イーストもターゲットは日本人かと考えたが、彼の答えは「アメリカ人相手」だった。なにをばかなことを聞くのかと言わんばかりに「商売とはそういうものでしよう」と言われた。
 アメリカに最も多いのはアメリカ人、というのは自明の理だ。いくら日本人がニューヨークに多いからといってもたかが知れている。わざわざ数が少ない日本人を対象に商売をする必要はないというわけだ。これがアメリカでイーストが成功している理由だろう。
 とはいえ、すべてが順風満帆で進んだわけではない。「もうダメかと思ったこともある」と彼自身言うように、訴訟を起こされ多額の費用を要したこともある。アメリカ社会は訴訟社会である。ささいなことでもすぐ訴訟に持ち込まれる。日本社会はもたれ合いの構造である。アメリカに進出した多くの日本企業が失敗するのはこうした直接事業に関係がない部分で労力を要するからである。三菱のセクハラ訴訟は記憶に新しい。
 それにしてもイーストではアメリカ人が器用に箸を使って寿司を食べている。人気メニューは「カリフォルニアロール」。アボガドを入れ、ノリを裏巻きしたやつである。考案者は誰かはっきりしないようだが「これがなければアメリカ人はこんなに寿司を食べてない」というほどの人気メニューであり、アメリカで寿司店を出す場合、欠かせないメニューだ。


 アメリカ人に靴を脱がせる
 イーストが持ち込んだ新しい文化


 イーストが成功した2番目の理由はイーストの新しい文化(習慣)をアメリカ人に浸透させたことである。それはなにか。靴を脱いで食事をするということである。日本人にとってはなんでもない習慣でも、寝る時にしか靴を脱がない彼らにとって、この文化はかなりのカルチャーショックだったはず。実際、「彼らに靴を脱がせるのに1年かかった」と若山氏は証言する。
 店のイメージはウエストの焼肉店を想像してもらえばいい。板敷きで掘りごたつ式テーブルがあるスタイルだ。畳ならまだしも床である。なぜ、靴を履ぐ必要があるのかと彼らはいぶかったに違いない。だが、それがオシャレなのだ、ファッションなのだと認識させれば、逆に高感度人間がどんどん集まってくる。高感度人間が集まれば情報は広がっていく。かくして「今日はイーストで食事をするから靴下を履き替えて行こう」とまで彼らに言わせることができたのだ。「最初の頃は消臭スプレーが必需品で、入り口で1人1人の足にシューと吹き付けていた」のもいまでは遠い昔の笑い話のようだ。


 自らが楽しめる店を作る

 イースト成功の第3の理由はいろんなスタイルの店を展開していることである。これにはリスクヘッジという側面もあるが、それより「人は飽きやすい」ということだろう。一つのスタイルだけでやっていると受けている時はいいが、飽きられた時には落ち込みが激しい。過去、日本でも行列ができ、マスコミで話題になった店がいくつもあったが、往時の活況がいまも続いているところは皆無である。栄枯盛衰、いかなるものにも浮き沈みがあるということだろう。
 こうした変動の波を極力小さくするにはタイプの違ういくつかの店を展開する方法は有利には違いない。かといって、ただ単にタイプの違う店を展開すればいいわけでもない。
 若山氏は「自分が楽しめる店を作ること」だと言う。
 「同じタイプの店を展開して成功している人もいますよ。その方が楽かもしれない。コツが分かっているから。しかし、私は自分が飽きちゃうとダメなんですよ。パワーが落ちてくるから。常になにか新しいものにチャレンジしていないと」
 だから業界誌はもちろん経済紙にも丹念に目を通すし、業界の動きだけでなく社会の動きも注意して見ている、と言う。彼は「自分が飽きる」と言ったが、それは取りも直さず「客も飽きる」ということだろう。その移り気な客を飽きさせないためには、まず経営者自身が飽きないこと、店作りを楽しむ以外にないというわけだ。


 基本に立ち戻り、基本を大事にする 一方で新しいものにチャレンジしながら、他方では常に基本に立ち戻っているのが若山氏の店舗経営でもある。基本とは地味である。そこには目新しさも人の耳目を引く経営戦略もない。いわば言い古されたことである。だが、それを忘れるところから衰退が始まる。そして、それはおうおうにして店が流行っている頃にやってくる。慢心の陰に衰退が顔を出しているのだ。
 少し具体的にいえば、忙しさにかまけて客扱いがぞんざいになる、作るそばから商品が出て行く、あるいは味を吟味する間もなく商品が出て行くから、知らず知らずのうちに味が落ちていく、店長も他の人間と同じレベルの仕事をこなし、全体に目を通す人間がいなくなっている。こうしたことが積み重なって、ある時気が付けば客が減っていたということになるのだ。
 イースト成功の第4の理由は、常に基本に立ち戻り、基本を大事にしていることである。
 20歳で渡米した若者もいまは50歳を超えた。しかし、彼のベンチャースピリットはいまも健全、いや、ますます健全である。

(「IB」1999年4月掲載)


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