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栗野流人脈の作り方−−人には3回会う。


 私は人には3回会うようにしている。
なぜ、1回でも2回でもなく、3回なのか。
 一つには3回も会えば、その人との間にヒューマンリレーション(人間関係)ができあがるからだ。
 人脈を作るために3回会っているわけではないが、3回も会う相手とは自ずと人脈と呼べる関係ができてくる。

 ところが、一口に3回会うといってもそう簡単にはいかない。
職場が同じとか仕事先の関係だとかを除けば、接点がない人と次に会うのはなかなか難しいことは分かるだろう。
名刺交換した翌日に電話をかけたり訪問をするこまめな人もいるが、こういう人は比較的少ない。

 人脈づくりにこまめさは欠かせないが、こまめさだけでも人脈は作れないだろう。
やはり必要なのは誠意と継続だ。
 例えば翌日すぐ電話をかけてきて訪問のアポを取る人もいるが、会うと目的は商品の売り込みだったではガッカリする。
人脈づくりのはずが、これでは逆効果だろう。
「モノを売る前に自分を売れ」とは言い古されたことだが、モノを先に売ろう売ろうとする人が結構多い。
これでは嫌われるだけだ。
 ところが、こういう人に限って、熱しやすく冷めやすいから、2回目の行動がない。
一度会ってビジネスにならなければ、もう後が続かない。
第一、人脈とはビジネスの具ではないのだが、ビジネスのための利用ぐらいにしか考えてないからそうなる。

 さて、3回会うもう一つの理由は、相手を見極めるためである。
巧言令色鮮し(すくなし)仁、とは昔からいわれることだが、大体口がうまい人に誠実な人は少ない。
だから私は、笑顔を浮かべながら美辞麗句で飾り立てた言葉を並べて近付いてくる相手には端から用心している。
第一、こういう人は後が続かないから2度3度と会うことはまれだが、それでも3回も会ううちに相手がボロを出す。いや、相手の本心が見えてくる。
 まあ、そういうことだけではなく、基本的にじっくり、長く付き合いたいと思っているから、気に入った相手とは私は3回以上会うようにしている。

 3回会うといってもやはり期間は問題だろう。
3日で3回は早すぎるし、3年で3回では期間が空きすぎる。
程よい間隔は3か月から半年の間に3回、長くても1年以内に3回だろう。

 余談だが、私は気に入った相手、興味を持った会社には2度3度と取材し、記事にするくせがある。
 一つには成長を応援したいという気持ちと、もう一つには成長過程を経年で見てみたいという気持ちからである。
ところが、その過程で見えてくるものもある。

 例えば最初の取材で見せる姿はその会社やトップのよそ行きの姿である。
取材とか記事になると分かれば、誰でもいいところを取り上げてもらいし、いいところを見せたいと思うのは当たり前のことで、これはやむを得ない。
 ところが、2度3度と会ううちに相手も気を許してくるから、段々本音の話しをし出すし、普段着の姿が見えてくる。
すると、最初に聞いた話と食い違いが出てくることが時にある。
大筋で異なることはないのだが、微妙に細かい部分で順序が逆になっていたり、誇張されていたり、多少作り話めいていたりする。
すると、ちょっと待てよ、と思う。
 私の場合は商品にしろトップの人格にしろ自分が100%納得できなければ書かないタイプだから、取材はしても記事にしないことがままある。
特に会社の先行きに不安を感じたり、技術に面白みを感じないところはそうだ。
そういう意味では仕事として取材し、原稿を書いているというより、相手との信頼関係を重視して書いていると言った方がいいのかもしれない。
それはプロではなく趣味の領域だと指摘されそうだが、ずっとそのスタンスを通している。
その代わりに「ちょっと待てよ」と思った会社は、やはりその後おかしくなっていることが多い。

 ところで、人に会うのも3回なら、人の話を聞くのも3回である。
3回しか聞かないということではない。
同じ内容を3回も言われると相手の言うことを聞くということだ。

 おうおうにして人が最初にいうことは本心ではないことがある。
褒め言葉の場合は特にそうだろう。
「あなたのような方に師事していただければ」
「一度我が社の内容を見てもらえませんか」等という人は多い。
ビジネスの場でも「今度御社と組んで一緒にやりませんか」
 等々。
だが、こういう言葉はほとんどの場合、社交辞令である。
相手が真剣にそう思っているわけではない。
その場の雰囲気で社交辞令としていっているだけだ。
だから、こちらも「ああそうですね」等と適当に返事しながら聞き流している。

 しばらく期間をおいて、また同じようなことをいわれると、本当にその問題で困っているのか、誰かの助力を希望しているのだな、と感じる。
 そして3度も同じ内容で依頼を受けると、それはもう間違いなく「私」を必要としていると思うから、その段階では無条件で受けるようにしている。
つまり金額の多寡に関係なく引き受けるということである。

 いずれにしろ人脈は打算やビジネスの具として考えて作れるものではないし、作るものでもないだろう。
むしろ打算を外れたところでこそ真の人脈ができるのではないかと思う。


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