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N の 憂 鬱-1
〜彼思う故に我存在す〜


Kurino's Novel-1                    
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Nの憂鬱〜彼思う故に我存在す
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◇彼思う故に我存在す

 ここ数年、Nは鬱々としながら日々を過ごしていた。先が見えない不安に襲われ、それから逃げるように帰省し、田舎で1、2か月暮らしF市に戻ってくるというスタイルの生活を続けている。田舎に帰るのはいつも一人で、片道7時間余りをかけて高速道路を運転していた。瀬戸内側を走る高速道と違って、Nが走る道路は山沿いの道路でカーブとアップダウンが多く、初めてそこを走った時は緊張の連続で、帰り着くと心身ともにグッタリし、しばらく動けなかったほどだ。それが今では走り慣れ、走っている車の数が少ない分だけ走りやすいと感じるようになっていた。
 「こうして走れるのも後3年だろうな」。ハンドルを握りながらそんなことを考えていた。Nもすでに70代半ばに差し掛かろうとしていた。片道7時間余りをかけて、ただ只管走るのはそろそろ苦痛に感じだしていた。同年輩の中には「免許を返納した」と言う者も現れだした。高齢者の高速道路逆走や、ブレーキとアクセルの踏み間違い事故などの報道も増えている。カーブが多い道とはいえ直線距離もある。走行車両の少なさをいいことに緊張感が緩み、惰性で運転しているような感覚もあり、「危ない、危ない」と自分に言い聞かせていた。

 心配しているのは運転のことだけではない。この頃、人の名前が思い出せないのだ。「それは物忘れで認知症ではないから」と慰められるが、交差点を曲がった時、対向車線の方に入りかけたことがあったし、今自分がいる位置が分からなくなったこともある。
 幸いその時だけで、その後同じような場面に遭遇することはなかったので、ボーとしていたからだろうと自分に言い聞かせ、一過性のものと思い込もうとしていたが、内心ひどく怯えていたのは事実だ。

 もし、記憶がなくなったら、自分の存在は無になるのではないか、という怯えである。5、6年前まではそんなことを考えたこともなかったし、自分の記憶は弟に引き継がれるだろう。全てではなくても一部は弟の中で生き続けるに違いない、と漠然と思っていた。
 弟の話の中で自分の記憶が彼の体験談のように語られていたのを知ったからで、もしかすると自分の記憶は弟の中で生き続けるのかもと感じた。もちろん全てではなく一部だろうが、それでも無ではない。

 どういうきっかけでそういう話になったのか今となっては思い出せないが、田舎の広縁でロッキングチェアに揺られながら二人で取り留めのない話をしていた。
「家の近くで仲よくしているお医者さんがいるんや。前にも話したと思うけど、よく一緒にゴルフに行ったりする先生が。その先生の娘が大学生でな、おっちゃん達が学生の頃は、という話をしてやっとったんや。今と違って当時は大学も大変でな、いろいろやっとったんや。市電の線路の下な、今、コンクリートになってるやろ。けど昔は敷石や。それを剥がして機動隊に投げたりしてたんや。その後、石、投げられんようにするためコンクリートに変わったんやで、って」
 弟がそう話すのを聞いて、思わず彼の顔を見た。
「お前、そんなことよう知っとるな」
「何言うとんや、兄貴が俺にそう言うてたやないか。違うんか」
「そんな話、したか。もしかしたらお前がやったんかと思った。学生時代、麻雀ばかりしていたはずのお前が、とビックリしたがな」

 3つ違いの弟はほぼ同時期を過ごしているとはいえ、彼が通っていた大学は産業界寄りの人材を育てることを目的に設立された私立大で、その頃流行った「予備校ブルース」そのままに「マージャン狂いの大学生」活を送っており、ノンポリというより無関心派、批難派で、京都大生など街頭に出てデモをしている学生に対しても「バカなことをやっている」と怒っていたから、たまに会うといつも喧嘩になっていた。
「兄貴は親に迷惑ばかりかけて」
 それがNに対する口撃だった。
「心配させたのは事実だが、親に迷惑をかけた覚えはない」
 Nも負けてはいなかった。ただ、どこまでいっても二人が交わることはなく、このような関係はNの妻が亡くなるまで続いた。
 別に仲直りをしたわけではない。気が付けばいつの間にか二人は実に仲のいい兄弟になっていた。Nが50代半ば、弟も50歳を過ぎていた頃からだ。それにしても、と苦笑した。
「何がおかしいんや」
「いや、お前がさも自分が経験したように話していたことがさ」
 寄ると触ると言い合いばかりし、あれほどNのことを詰(なじ)っていたのに、ちゃっかり自分の経験のように話していると知り、不思議な気がした。それにしても、と思った。Nは自分の経験を他人はもとより家族にもほとんど話したことがなかった。妻は大体のことは知っていたが、それでも詳しいことまでは知らなかったはずである。いわんや会うと口喧嘩ばかりしていた弟に話すはずがないと思っていたが、いつ話したのだろうか。もしかすると仲よくなった後に、そんな話をしたことがあったのかも知れない。

 ふいにデカルトの言葉が脳裏に浮かんだ。「我思う故に我在り(Cogito ergo sum)」。存在は肉体を通してであり、肉体の消失は物理的な存在の消失だけに留まらず、存在そのもの、記憶の消失ではないのか。故に古代エジプト人は肉体=存在を消失させないためにミイラで自分の形を残し、人々の中に自分の記憶という存在を残そうとしたのではないだろうか。
 科学が進歩した現代はミイラの代わりに「メモリー」を作り、そこにホログラム技術で3次元バーチャル像を現出して、記憶(メモリー)と肉体を一体化させた。そうすることで記憶はいつでも「肉体」を伴った存在として、時間を超えて留まり、現れることができるようになった。
 だが、そうして自分の記憶を存在化させることができる人間はごく一部の富裕者だけで、圧倒的多数の人間は高価な先端技術の代わりに、自分の直系かそれに近い人間を通してしか記憶を伝え残すことが出来ない。

 「彼思う故に我存在す」。妻が亡くなり、弟が先に逝き、子供がいないNにとって「彼」はいなくなった。継承されない記憶は存在しないに等しく、肉体の消滅と同時に記憶も消え去る。そしてNの存在そのものが消え去る。
 何十年か後、弟の子孫が墓の前で「曾祖父ちゃんの横に書いてある名前の人は誰?」と聞くかも知れないが「この人は曾祖父ちゃんのお兄さん。何をしていた人か、よく知らん。亡くなった後、残った本を処分するのに困ったのだけは覚えているわ」程度の会話ぐらいは交わされるかも知れないが、そこまでだ。
 そんなことを考えると、認知症にでもなり、自分で自分の記憶を呼び覚ますことができなくなる前に、記憶を書き留めておきたい、と思うのだった。
                             (次回に続く)
 


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