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N の 憂 鬱-17
〜ML派の旗を掲げる(2)
ー兵糧攻めは人を獣にするー


  ▽兵糧攻めは人を獣にする

 Kという名字は朝鮮や中国でよく見かける名字だったから、Kの先祖は朝鮮か中国からやって来た渡来人だろうぐらいに考えていた。というのもKは大阪生まれの大阪育ちで、言葉は誰が聞いても完全な大阪弁で、朝鮮、中国系の人に特徴的な発音の仕方がまったくなかった。
 仮にKが朝鮮系や中国系であったとしても、Nの接し方が変わるわけではなく、むしろ逆に朝鮮や中国のことを教えて欲しいぐらいの感覚しかなかったから、壁の向こうに逃げるのではなく、抱えている問題を説明して欲しかったし、時にはデモに誘ったこともあった。
 だが、それはあまりにも歴史と現状に無知で、牧歌的過ぎたことを後に知ることになる。

 ある時、大阪からKの高校の同級生や後輩達3人がKの所に遊びに来た。Nも隣室に呼ばれ彼らと談笑していたが、その時、大阪から来た3人はKを「松下」「松下さん」と呼んだ。
「えっ、松下? 松下ってK君のこと?」
「そうですよ。ぼくらは”松下さん”とずっと呼んできてます」
「ちょ、ちょっと待って。じゃあ、”K”というのは?」
「Kは戸籍名で、大学入学時に”松下”は通称だからと許されず、戸籍名しか認められなかったんや」
「高校時代までずっと”松下”で来てたのに、か」
「うん、そやねん」
「理不尽やな。K君は大阪で生まれ、生まれてからずっと大阪やろ。それなのに、か」
「うん、ややこしい話が色々あってな。まあ、ええがな。今日はその話はやめとこ」

 この時はじめて彼は日本国籍ではなく、韓国か北朝鮮籍らしいと知った。「在日」「在日朝鮮人」という言葉も知らなかったぐらいだから、Nがいかに歴史に無知だったかが分かる。
 日本史、特に戦国時代史が好きだったが、それは世に語り継がれている出世物語や正史の類であり、講談や少年向け雑誌で語られる美談的に創られた勝者の歴史を楽しんでいたにすぎず、秀吉の鳥取城飢(かつえ)え殺しや、それに先立つ備中高松城の水攻めも実際のところは知らなかったが、それは雑誌や小説でも後に「飢え殺し」と呼ばれる兵糧攻めや、備中高松城の水攻めがいかに残酷な、人で無しの攻め方だったかなどについて書かれることはなく、歴史の表から消されていたからでもある。

 この両戦いでは城内に追い込まれ、追い詰められて兵糧を絶たれたのは兵士だけでなく農民、町民も含まれ、彼らが飢えに苦しみ、草木はもちろんネズミ、ミミズの1匹を奪い合い、それも尽きると死者の人肉を、さらに後には体が弱り衰弱した仲間の人間を夜陰に乗じて襲い、その人肉を食したことは正史にはもちろん一般人向けの物語でも触れられることはなかった。

 個人的なことだが、鳥取飢え殺しのことを知ってから秀吉に対する見方が変わり、彼のことを再検証した。秀吉にまつわる話はほとんどが後世に創られた「出生物語」であり、出自は農民でもなく、農民からのし上がった訳でもなかった。
 我々は後に創作された物語をいかに信じ込んできた、信じ込まされてきたことか。物事を見る時、批判的な視点、複合的な視点をいかに持ち得るかが重要だろう。

 似たようなことは第2次大戦中の南方戦線でも行われていたが、敗戦で帰国した兵士達は今に至るまで当時のことをほとんど語らず黙したままである。それはあまりにも悲惨で残酷、非道、非人道的なこと故、語ることはおろか思い出したくない記憶なのかもしれない。

 それでもごく一部から漏れ、語られたことはある。そこでは「黒豚」「白豚」という隠語が当時、現地で使われ、「黒豚を捕らえて食べた」「今日は白豚を取りに行くぞ」と密かに語られていた。「黒豚」とは南方戦線の現地人のことであり、「白豚」は「白人」を意味していたということだ。

 もちろん、そうした事実が表で語られることはなく、記録にも載っていない。残っているのは体験し、見聞きした兵士達の記憶の中だけだが、すでに戦後生まれのベビーブーマーが後期高齢年齢に達しつつある現在、当時を知る人達の多くはすでに鬼籍に入り、当時のことを語れる人は非常に少なくなりつつある。
 これから先、こうした歴史が表に出ることはおろか、裏でさえ語られることはないだろうし、語る人もいなくなる。
                                              (3)に続く

 


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