N の 憂 鬱-23
~名前をなくした日々の始まり(3)
示された奇妙な連帯感


   ▽示された奇妙な連帯感

 「学生さん、あんたらはスゴイよ」
 隣りにいる人間に話しかけているにしては大声で、少し離れた場所にいる誰かに呼びかけているような感じだったが、ここでは大声を出すことは禁じられていた。誰が声を張り上げているのか気になったが、すぐ人が飛んで来て、声の主を叱責する怒鳴り声が聞こえてくるだろうと思いながら、この後どういう顚末になるのか興味があり、入り口の扉の方に身を寄せ、声がした方向を覗き見た。
 声は3つ隣りの房からみたいで、そちらの方を見ると若い男が鉄格子を両手で握り締め、そこに頬をくっ付けながらこちらの方を一生懸命に覗き見ようとしていた。その房には他に同房者が2人いるのが見て取れた。

 その頃の留置場は1980年に処遇改善で新しくされた近代的な留置施設と異なり、扇形に各房が配置され、扇の要の位置に看守台があり、そこから全房を監視できるようになっていた。
 もちろんエアコンなどはない。トイレは水洗式だったが和式で囲いがないから用を足している時も看守台から尻が丸見え。朝起きてから夜寝ている間まで24時間プライバシーはないし、プライバシーという考え方もまだ市民権を得ていない時代である。留置所に入れられている人間は犯罪者であり、悪人は24時間監視する必要があるというのが権力者側の考えだから、およそ人間的な扱いなどは皆無である。

 各房の広さは3畳程度で、通常は4~6人が同房に入れられる雑居だが、N達学生は独居房だった。独居房といっても房の広さが他と変わるわけではないが、独居にさせられるのは重要犯罪者か政治犯で雑居房にいる人間にからみれば「格が違う」と思われたかもしれない。
 男が入れられている房は他に3人程が雑居しているようだ。相手の房の中までは見えないが扇形に配置されているから互いの房の位置が離れれば多少中の様子を窺い知ることができる。通路側に背を向けて座った姿勢のまま鉄格子に寄りかかり顔だけをNの方に向けている男が2人いる他に房内を歩き回っている者が1人いるようで、5人が1箇所に入れられているようだ。

 留置所で大声を上げたり、他者に話しかけることは禁止されている。同房内の会話ならそう大声を上げることはないから、うるさく注意されることはないが、声を押し殺しているとはいえ離れた房の人間に話しかけるのだからヒソヒソ話というわけにはいかず、多少声は大きくなる。
 規則にうるさい看守なら「他の房の人間と話をするんじゃない」と大声で叱責するところだろうが、この時間に勤務していた看守は細かいことをうるさく言うタイプではなかったようだ。

 それに気をよくしたのか声の主はさらに話しかけてきた。
「最も力を持っている大きな相手、国家権力に戦いを挑んでいるんだから、スゴイ。俺らとは違う」
 男の年齢はNとあまり違わないように見えた。
(この男は何をして捕まったのだろうか)
 そのことを尋ねようかと思ったが、看守に話を聞き咎められ注意されるのも不快なので「いや、大したことはないよ」と短く応えた。

 だが、こういう場所では自分の「業績」を自慢したがるようで、Nが反応したことから勝手に自分の「業績」を喋り出した。
「俺は他の組の奴とちょっとしたことで喧嘩になり、そいつを刺して捕まったんだ。あんたらに比べれば俺がやったことなんて小さなもんやけどな」
 そう謙遜しながら自分の「業績」を同房者に聞かせ、自慢しているようにも感じられた。
「学生さん、俺がここを出たらあんたらの応援に、日本刀を持って行くからな」

 まさか本当に味方しに来るわけはないだろうが、日本刀を持って来るのだけはやめてくれ。でないと、自分達が本当に「暴力学生」と思われてしまう、と苦笑しながら「ありがとう」と言っておいた。

 ヤクザもんと新左翼や全共闘では考え方も生き方もまるで違うし、少し前には行動右翼の防共挺身隊の若者達が早朝に襲撃してきたように、右翼やヤクザとは考え方も生活態度も正反対で接点がなさそうに見えるが、警察権力により互いに逮捕・留置されている場所柄なのか妙な連帯感のようなものが生まれるようだ。
 しかも彼らに言わせれば強大な力を持っている相手に素手かせいぜいゲバ棒、火炎ビン程度で闘いを挑んでいる学生は「スゴイ」と映ったらしい。
                                  (4)に続く
 


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