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N の 憂 鬱-24〜拘禁生活(3)
〜運動は30分、入浴は週1回15分


  ▽運動は30分、入浴は週1回15分

 翌日さっそくノートと便せん、ボールペンを注文したが、すぐ届くわけではなく、手元に届くのは1日後と知らされ落胆する。本もない、ノートもないでは、1日中何もすることがない。これは結構辛い。

 10時半、突然扉が開けられ「運動の時間」と告げられた。訳が分からないまま看守に付いて外に出ると、コンクリートの壁でいくつかの区画に区切られた空間があり、その内の1つ、一番端のスペースに入るよう促された。
 広さは畳8畳ぐらいで、区画内には学校の校庭などで見かける蛇口が複数付いた手洗い場のようなコーナーがあった。東京拘置所の運動場は15平方メートル(約9畳)らしいから、地方の方が何かにつけ劣っている。

 コンクリート壁の高さは160cmぐらいで隣の運動場に誰がいるのか分からないようにされていたが、身長180cmのNは体を少し伸ばせば顔ぐらいは見ることができる。
 もしかすると、と期待したが見えたのは全く見知らぬ男だった。よしんば顔を見知っている相手でも声を掛けたり言葉を交わすことは厳しく禁じられているし、看守が運動場のすぐ側で不審な行動をしないか目を光らせ監視しているから、言葉を交わすことはできないが、そういう時はできるだけ境の壁の側を歩きながら「おー、寒い。イチ、ニ、イチ、ニ」とか「よーし、ちょっと走ってみるか」などと敢えて声に出し、それとなくこちらの存在を知らせる。
 それに気付けば相手も同じように「よーし、身体を鍛えるぞ」と独り言を聞こえるように声に出して応じてきたり、互いに壁際を歩いて通り過ぎる時、看守に聞こえない程度の声で「頑張れよ」とそっと合図を返してくる。

 手洗い場には蛇口が複数付いていたことから一度に2、3人入れられるのかもしれないと考えたりもしたが、N達独居房の住人は何をするにも単独だったから、拘置所内の全貌は実のところよく分からなかった。
 運動時間は30分と決められていた。その時間内ならスペース内を走り回ろうが歩こうが自由で、中にはラジオ体操をする者もいるし、ボーと日向ぼっこをして過ごす者もいる。ただ誰もが一様に陽の光を浴びることを楽しんでいた。

 冬の午前中とはいえ暖を取る術もない房内で座ってじっとしているより、戸外に出て陽の光を浴び、身体が温まる感覚を感じる嬉しさは恐らく経験した者でないと分からないだろうが、陽の光がこんなにも暖かく、やさしく包み込んでくれる感覚は子供の頃の日向ぼっこ以来で、Nはしばらくその感覚を味わっていた。

 何でもないちょっとしたことに気付き、驚き、発見し、喜ぶ。そんな体験をこれから先の出口が見えない、日々同じことが繰り返される毎日の生活の中で見つけ出し、一人喜ぶ生活がこの先どれ程続くのか。その時はそんなことすら考えてもいなかった。

 10分も日向ぼっこを楽しんでいると少し退屈もしてくるし、こんなことをしていてはいけない、身体を鍛えなければという強迫観念にも似た感情が湧き、狭い運動スペースの中を走ったり兎跳びをしたりした。走ったり歩く時は極力大回りをし少しでも筋力低下を防ぐようにしたが、別の目的もあった。隣の運動スペースにいる人間を確認できるかもしれないと考えたからだが、同じように収容されている仲間の姿が垣間見えたのは一度切りだった。恐らく運動時間をずらし、互いに会わせないようにしているのだろう。

 初めて運動に連れ出された時は要領を得なかったが、30分の運動時間内に洗濯もしなければいけないということが分かった。洗濯機といった文明の利器などここにはあるはずもなく、固形石鹸を使った手洗いである。もちろん蛇口から温水が出ることはない。手がかじかみ適当に終えればいいのだが妙に几帳面で、しっかり洗わないと気が済まない。そのうち指が赤くなってき、指先の感覚がなくなってくる。もうこれ以上は無理だとやっと終えたが、冷たさで指が痺れて洗濯物を絞るのに一苦労した。

 「今日は風呂に入れるよ」
朝食を済ませ、通路に出したオマルを回収する時、雑役係が小さな声で短く教えてくれた。
 その言葉通りに、しばらくすると看守が呼びに来て「今日は風呂の日だ。これから風呂場へ連れて行くから用意するように」と命令する。
 運動といい入浴といい、事前にスケジュールを伝えるわけではなく常に突然命令調で告げられる。
 それでも風呂に入れると思うと嬉しかった。なんといっても逮捕されて以来、風呂には一度も入っていないからだ。

 運動する時も入浴する時も房から出て通路で整列し、イチ、ニ、イチ、ニと声を出しながら行進するシーンが映画などではよくあるが、あれは服役囚が入れられる刑務所内でのことで、未決拘留の拘留所ではそうしたシーンは全くない。常に1人で連れて行かれる。
 看守の後に付いて歩きながら通路の両側に配置された房をチラッ、チラッと盗み見してみるが中の様子が見えるわけもなく、建物内はシーンと静まり返り、まるで人は誰もいないかのような静寂に包まれている。

 コンクリート造りの浴室は2人か、無理すれば3人ぐらい入れそうだったが、そこに1人で入れる贅沢をゆっくり味わう時間はない。入浴時間は15分間。その間に溜まった汚れを落とし、頭も洗おうとすれば時間は足りない。
 全てがスローペースのNは急かされるような気持ちで風呂から出たが、Nの前に何人かが入ったとは思えないくらい湯は汚れていなかった。
 まさか一番風呂ということはないと思うが、入浴の順番が早いのは間違いない。新入りは後にされるというのはよくあるが、ここでは逆なのか。それとも学生で一般犯罪者ではなく政治犯扱いで、その辺りを考慮して「優遇」してくれたのかなどと考えを巡らした。

 入浴は冬場は週1回で、夏場になると週2回入れるということは後に分かった。
                                              (次回)に続く

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