N の 憂 鬱-4
〜揺れる時期(1)


Kurino's Novel-4                    
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Nの憂鬱〜揺れる時期(1)
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◇変わらない日大

 この国はどうなったのだろうか。人々は自分のことしか関心がなく、社会や地域、他人のことはどうでもいいらしい。イジメは児童や生徒たちの間だけのことではなく会社でも社会でも横行し、弱い立場の人間を皆が寄ってたかって叩く構図が見られる。それは一種のショーのような盛り上がりを見せ、一度火がつくと次から次に薪を投げ入れ、さらに炎を大きくさせようと人が群がってくる。
 交通事故を起こした高齢者が国家公務員だったことから「上級国民」と罵り、故意に交通事故を引き起こしたのならまだしも、車のトラブルか、ブレーキとアクセルの踏み間違いで死傷者が出たのに、まるで殺人者のように寄ってたかって叩く。それは集団リンチそのもので、過去にこのような事例を目にしたことはない。この国とこの国の人間は理性も正常な判断力も失ってしまったように見える。

 企業の検査データ改竄は日常化し、今や使い込みの額は2桁になり、1億円程度の使い込みではこちらも驚かなくなってしまった。それぐらい使い込みが日常化し、使い込み額が大きくなっているが、それは企業のことで大学は無縁と考えていたら、大学が最高学府(最も程度の高い学問を学ぶ学校)と呼ばれたのは昔のことで、いまやセクハラ、パワハラに始まり研究論文のデータ改竄が横行し、理事会は金儲けのことしか頭になくなっている。それでなくても近頃の大学は経済優先で学問は二の次的な風潮があるというのに、さらに使い込み、不正の仕方まで教えているのかと思うと嘆かわしくなる。

 先頃、日本大学の現職理事が2億2000万円を不正に流出させた背任容疑で東京地検特捜部に逮捕されたが、まるで47年前に戻ったようなデジャブ(既視感)を覚えた。日大は過去の歴史から何も学ばず、何も変わってないのだ。
 68年当時の日大も大学の不正問題が明らかになり、学生が立ち上がり日大闘争が始まった。日大闘争そのものは大学側の機動隊導入等による力で押し潰されたが、日大で起きた学生による「ノー」の意思表示は、東大を始めとした全国の大学に全共闘運動として燎原の火の如く広がって行った。
 後にメディアは「政治の季節」などと称したが、一つひとつの大学は共通する問題と同時に個別の問題を抱え、学生が政治的な問題だけで動いたわけではない。ただ、今の学生と比べて当時の学生は自分たちが置かれている環境や取り巻く環境に対して敏感だったことは確かだ。

 日大闘争と60年安保闘争が大きく異なっていた点は、前者を主導したのが全学連という組織だったのに対し、後者は全学共闘会議(全共闘)という新しく生まれた組織形態だった。
 全学連は全日本学生自治会総連合の略で各大学の自治会の連合組織で、60年安保闘争以後分裂し、日本共産党系の学生組織の民青(民主青年同盟)、半日共系の共産同(ブント、ML派)、革共同(革マル派、中核派)、社青同、第4インターなど様々な組織(セクト)が生まれ、日大闘争、東大闘争等でもこれらの組織は個別の理論と闘争形態で活動しながらも全共闘という運動形態に包括され、どこかのセクトが主導するという形ではなく、ノンセクトの集まりともいうべき全共闘という組織が運動の中心であり、運動を主導していった。
 特に日大闘争では組織(セクト)に属さないノンセクトラジカルと呼ばれる問題意識を持った学生達が運動を主導していった。ノンセクトラジカルが運動を主導したために多くの学生が自主的に参加でき、運動が広がった側面があったと同時に、理論的・組織的結集軸が弱いという弱点があり、それが後に全共闘運動の崩壊にも繋がったとも言えるが。

 歴史的に見れば日大闘争が起きる前、1965年に「早稲田を揺るがした150日」と言われる早大闘争こそが全国の大学に燃え広がる闘争の狼煙であり始まりだった。
 共闘会議も早稲田から始まったし、バリケードもそうだ。そして学内に機動隊が導入され、力で学生の声が押し潰されたのも早稲田大が始まりだった。
 始まりは国立大学管理運営制度(大管法)の改革、学生会館の管理運営権、授業料の値上げ等への反対だった。

 2020年9月に菅首相(当時)が日本学術会議の会員候補6名の任命を拒否した問題があったが、それは大管法改革を打ち出した背景と同じであり、根はそこから伸びている。50年たっても社会は何も変わっていないと思い知らされるが、そのことを認識している人がどれぐらいいるだろうか。民主主義や自治を嫌うのはアジアの強権的な国や独裁国家だけではないのだ。

 大管法改革の要点は次のようなものだった。
1.教授会の構成を教授だけに限定する。
 これは大学の運営に当時の呼称による助教授、助手を参加させないということであり、大学内で教授の力が強くなり、学内のヒエラルヒー(ピラミッド型の階層組織)が固定化され、より強固になることを意味する。
2.自治活動や組合活学内の民主主義的活動を制限する。
3.文部大臣の下に大学運営に関する中間機関を設ける。
4.大学内の管理機関としての学長、評議会の権限を強化し、教授会の自治を抑制する。
5.学長、学部長、教員の候補者が著しく不適当な場合、中央の機関に諮って、大学に再選挙を求める。

 当初は学生ではなく、大学の教職員が教授会の自治が脅かされるとして反対の声を上げた。上記の5は最近見た景色とよく似ていることを思い出すに違いない。そう、菅前首相の日本学術会議の会員任命拒否と同じである。「候補者が著しく不適当な場合」とされているが、なにをもって「著しく不適当」というのかの説明はない。言い換えれば、どうにでも解釈できるわけで、政府が気に入らない候補、時の政権に楯突く候補は学長であれ、学部長、教員は拒否できるわけで、大学の自治に政府が「著しく不適当」に介入することを目論んでいた。
 これに大学人は激しく反対し、政府は法案の国会提出を断念せざるをえなかった。それに比べれば今回の学術会議の会員任命拒否反対運動は生ぬるいというか、広く指示を広げる方法に欠けていた。一度飼い犬になると、飼い犬体質から抜け出せないのと同じで、彼らはとっくに牙を抜かれていたわけで、メディアに頼った反対をすることぐらいしかできなかったのだろう。
                                  (2)に続く

 


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