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有田焼で万華鏡を作り、世界に売った男(1)

(有)佐賀ダンボール商会 代表取締役副社長:石川慶藏
佐賀県西松浦郡有田町赤坂有田焼団地内 
tel/0955-43-2424

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 いままで取材その他を通じて多くの魅力的な人達(技術)に出会ってきたが、昨年、佐賀県有田で出会った(有)佐賀段ボール商会の副社長・石川慶蔵氏もその1人である。
 石川氏との出会いは有田ニューセラミック研究会で共に講師として呼ばれた時だったが、有田焼で万華鏡を作り、世界で売っているというから面白い。
「万華鏡」という言葉にはどこか懐かしい昔の夢のような響きを感じるが、世界中に結構ファンが多いらしい。
そういう人を対象に高級な万華鏡を作り販売し、06年だけで3,500本、1億3000万円を売り上げているのだからスゴイ。
 万華鏡といえば子供の頃おもちゃで買ってもらった記憶があるが、それでも随分ワクワクしたものだ。しかし、石川氏が作った万華鏡は私なんかの記憶をはるかに超えたもので、安いものでも1万数千円、高いものになると1本60万円前後もする本格的なものだ。

 正直に白状すると、最初、有田焼の万華鏡と聞いて、「またか」と思った。かつて隆盛を誇り、いまは地盤沈下が著しい地方が、地場産品を使った商品開発をよく行っているが、それらの大半はアイデア商品の域を出ず、およそ本気で売り出そうなどと考えているとは思えない商品ばかりだからだ。別に有田焼に限ったことではなく、多くの産地で、例えば「博多織で作った○△」、「○○材で作った××」みたいなものは掃いて捨てるほどあり、ただ単に材料・材質を地場特産品に無理矢理置き換えたようなものばかりだ。
 こうした商品が売れないのは当たり前だ。いずれもどこかで見たような物真似的なものばかりで、独創性と必然性がない。市場を調べもせずに、単なる思い付きで作ったものが売れるほど世の中甘くはないだろう。
珍しそうに有田焼万華鏡を見る人達
 まあ、そんなわけで石川氏には申し訳ないが、最初はほとんど期待していなかった。ところが、講演会に現物を持参、展示されていたので、それを見、話を聞いてビックリ。佐賀県にというと失礼だが、地方にこういう発想をする人がいたのかと大いに感心した。
 まず、モノづくりの理念がしっかりしている。
その上できちんとターゲットを設定し、どういう売り方をするのかということまで最初に考えている。
つまりマーケティングがしっかりなされた上でモノづくりが行われているのだ。
なぜ、石川氏にはそういう発想ができたのか、ということは後に触れる。
 それにしても「段ボール会社がなぜ万華鏡作りを?」という私の質問に石川氏は次のように答えた。
「段ボールは有田焼を包装するものですから、有田焼が売れてもらわないと困るわけです。有田の町は有田焼で持っています。有田焼が売れるということは有田の町も元気になるわけで、そのために自分に何かできることはないかと考えたのです」

 直接のきっかけになったのは本人の大病・入院生活。
「台湾製の万華鏡を病室に持ち込んで見ていたのですが、他の入院患者や看護師さんなども珍しがって覗くわけですね。万華鏡を覗いた人は皆喜びました。寝たきりのおばあさんが1日中でも飽きもせずに万華鏡を覗いていて、日に日に元気になっていくのが分かるわけですよ。万華鏡にはそんな不思議な力があるんですね」
 一度は死をも覚悟した入院だったが、無事退院すると万華鏡作りをしようと思い立つ。
 ここまでならよくある話だ。ただ、ほとんどの人は思い付きだけで終わり、それを実行にまで移す人は少ない。しかし、石川氏にはそれを行動に移すだけの実行力が備わっていた。
 成功者とそうでない人の分かれ道は、この一歩踏み出すかどうかである。ただ、その先にはさらなる困難が待ちかまえてもいるが。

有田焼万華鏡が売れる理由

 「私が有田焼万華鏡づくりに成功したのは、焼き物に素人だったこと、資金がなかったこと、そして有田が不況だったから」
 石川氏は成功の要因として上記3点を挙げた。
 焼き物の素人だったから「こんなものができたらいいな」という、その道のプロからすれば「とんでもない発想」ができたわけだ。専門家は技術的に可能かどうかを先に考えてしまう。そして、できる、できない、という結論をサッサと出す。「不可能を可能にする」とか「不可能にチャレンジする」というが、そういうことができるのはほんの一部の技術者である。世界に誇っていた当時のソニー(いまは影が薄いが)でさえ、カセットテープと同じ大きさのウォークマンを作れという指示に対し、技術者は皆「できない。不可能だ」といったのだから。この時は営業担当常務が常務命令ということで押し切り、やっと技術者達が従い、その結果、不可能を可能にすることができたという逸話は有名である。こうしたことからも分かるように、その道のプロには柔軟な思考が欠けている。むしろ部外者の方が柔軟な発想ができるのである。

 面白いと思ったのは成功の要因に「資金がなかった」ことを挙げていることだ。もう少し資金があればできるのに、できたのに。普通の人はそう思うに違いない。ところが、逆だから面白い。恐らく自己資金があればなんでも自分でやったのだろう。その結果、できたのものは独りよがりのものになり、売れなかったはず。だが、資金がなかったからこそ県を口説いて力を借り、異業種の人達の力も借りてモノを作ることができ、売れたといっているのである。
 「異業種とのコラボレーション」ができたからだとも言っている。それは故松下幸之助氏が言う「衆知経営」に他ならないという。「衆知を集めることで不可能が可能になる」というが、この場合の「衆知」とは単に「多くの人の知恵」という意味ではないだろう。単なる知恵の総和ではなく、互いに影響し合ことで質が飛躍的にアップするような知恵、いわば「英知」の結集である。
 単なる異業種の集まりからは何ものも生まれない。交流は一流同士の交流でなければ結果が得られない、というのが私の持論だが、有田焼万華鏡はまさに「一流の人達とのコラボレーション」だったからこそ可能になったのである。
 例えば有田焼の部分は有田の一流メーカー、香蘭社や源右衛門窯が担当し、ガラスは副島硝子、万華鏡デザインは万華鏡作家の第一人者、山見浩司氏という具合だ。こうした一流の人達、会社を口説き落とせたことが成功に繋がった。

 技術面での最大の難関は焼き物と金属の結合である。焼き物は焼成時に収縮する。食器や壺類の場合は多少の収縮も問題にならないが、精密加工の場合にはこの収縮度が問題になる。有田焼の方を設計図の数字に合わせるのか、それとも完成した焼き物に金属を合わせるのか。
 いずれにしろ有田は陶磁器だけでなくニューセラミックスも生産している産地。有田を代表する香蘭社の技術が大いに役立ったに違いない。

 さて、問題は販売である。
ある意味、モノづくりでもっともおろそかにされる部分である。
いまでもまだいいモノを作れば黙っていても売れると思っている人がいるが、いいモノが売れるわけではない。
いい加減なモノが売れないだけだ。
売れるモノは売れる要素が盛り込まれた、いいモノなのである。
言葉を換えれば、いかに売れる仕掛けをするかということに繋がる。
 そういう目で有田焼万華鏡を見てみると
1.いままで主に食器類に使われていた有田焼を、そのきれいな図柄、絵柄に注目し、商品ジャンルを食器ではなくインテリアに求めた。
2.国内ではオシャレととらえられ、海外では有田焼=高級というイメージが生きた。
3.機能性(万華鏡を見るという)以前に、商品そのものにインテリア性が強かった。
4.覗く度に変化し、何度覗いても飽きない美しい世界がある。
 つまり展示しているだけで人の目を引き付ける「ビジュアル的な美しさ」と、商品を手に取り、中を覗くと美しい幻想的な世界が現れる「驚き」という仕掛けを商品そのものが持っているわけで、有田焼万華鏡は「売れる要素」が盛り込まれた商品といえる。
 あとは変な箇所、例えば夜店・露店の類とか安物売りショップではなく、オシャレな高級ショップやデパート、万華鏡の専門店を販売チャネルに選ぶことだろう。
 現在、同製品は大手デパート、通販、専門店で売られているというから、販売戦略面でもきちんととらえられている。
 石川氏のマーケティング的な発想には改めて驚くが、なぜ、彼にはそのような発想ができたのか。その答えは彼が松下電器産業に入社し、その後同グループのPHP研究所に志願して配属になったことと大いに関係があるだろう。故松下幸之助を尊敬し、氏の経営哲学を体得してきたからだ。平成12年に義父の他界をきっかけに故郷へUターンし、佐賀ダンボール商会の代表取締役副社長に就任。こう聞けば私ならずとも少しはなるほどと頷けたのではないだろうか。
                                                (2)に続く


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