Google

 


3.11以後は政府、東電が被害を拡大した人災(1)


 今回、広く東日本一帯を襲った巨大地震の報に接してから、私は風評被害の拡大をしないようにしてきたつもりである。
 原発事故の危険性については当初から非常に危惧していたが、最悪の事態を防ごうと原発内に踏み止まって文字通り命懸けの作業をしている50人や下請業者の人達、また放水・冷却作業を必死に行っている自衛隊、警察、消防の人達の活動には本当に頭が下がるし、過酷な現場で、何度も言うが文字通り命懸けで頑張っている人達のことを考えると、誰かのように原発爆発の可能性を無責任に叫ぶことはできなかった。
 それはジャーナリストとしては問題ではないかというような指摘も頂いたが、自分の身を安全圏において徒に危険性を指摘したくはなかった。そうすれば好むと好まざるとに関わらず、結果的に風評被害の拡大に荷担することになると考えたからである。

 人は勇ましい言葉、極論を好む傾向がある。不安状態にある時はなおさらである。そういう時に「TVで喋っている学者は現場を知らない」「彼らは御用学者で、真実を言わない」等と言えば、人々の不安心理はますます拡大し、パニックになる。そうした行動を引き起こすことが果たしていいのかどうか。少なくとも私はそちらを選ばなかった。これが私の立場であり、まず最初にそのことを明らかにした上で、以下のことを指摘したい。

 災害は残念なことだが起こってしまったことは仕方ない。問題は起きたことより、その後の処理をいかに素早く行うかということだ。この事後処理の仕方いかんで被害は大きくも小さくもなる。
 しかし、今回の災害では事後処理の混乱ぶり、遅れがあまりにも目立つ。いまからでも遅くないから迅速かつ的確な対応を望みたいものだ。

1.官邸の混乱と対応の遅れ

 まず目立ったのは官邸の混乱ぶりだった。
特に福島原発事故の問題は、当初かなり甘く見ていた感がある。「政治主導」の見せ場にしようと考えたのかどうかは分からないが、情報収集もそこそこに拙速な視察を行い、現場に余計な負担を強いたのもその一つだし、情報の小出し、避難エリアの順次拡大、放射能の被曝許容数値のアップなどが、きちんとした説明なしに行われたことにも見て取れる。
 こういうことを行えば国民は政府が発表する内容を信用しなくなり、そのことで風評被害を広げることになる。

 危機に際して見せるリーダーの姿も大きく影響するが、菅首相の対応は残念ながら国民を安心させるには程遠かった。
 例えば当初、菅首相は会見を頻繁に行っていたが、ある時を境に会見をぷつりとやめてしまった。官房長官に一本化したというのなら、それはそれでいいが、それでもやはりリーダーたるものは重要な局面では必ず国民の前に姿を現し、自ら説明すべきだろう。
 それに比べ国民を勇気づけられたのは天皇陛下である。地震から5日後の16日に被災地住民向けにビデオメッセージを出され、30日には被災者を直接お見舞いになられている。こうした行動がどれほど被災者を励ましたかは言うまでもないだろう。
 もちろん菅首相も被災地を訪れ被災者を見舞っているが、「こんな時に体育館の前の自転車を片付けた方がいいとか、もう少しきれいにした方がいいとか言われてもね」と、その時菅首相に見舞われた被災者の女性達がインタビューで憤っていたが、その通りだろう。
 菅首相にしてみれば、避難場所の玄関付近に自転車が乱雑に止めてあれば出入りの邪魔になったり、怪我をする危険性があるから片付けた方がいいだろうから、そのように指示しておきましょう。皆が集まる避難場所だけに衛生面にも気を付けなければいけませんね、という気遣いのつもりだったのではないか。しかし、上記のような受け取られ方をするところが、この人の言葉足らずというか損なところだろう。

 言葉足らずならパフォーマンスでもしっかり見せればいいようなものだが、それさえもしない。所詮はパフォーマンスと言われようと前回はカイワレを食べて安全性をアピールしたのだから、今回もほうれん草を食べて、この程度の放射能は健康には全く影響ありません、とやればよかったのに、なぜか今回はそんなパフォーマンスもなしだ。すると、やはり危ないのかという憶測を呼ぶ。それでまた風評が拡大していく。

 リーダーたるものは常に国民と共にいなければならない。国民と共にいるとは国民と同じ目線に立つということであり、国民に寄り添うということである。そうした対応を取られたのは天皇陛下の方であり、菅首相ではなかった。天皇陛下の方がよほどリーダーとしての資質をお持ちである。少しは見習って欲しいものだ。

 国のトップが事態を甘く見ていたぐらいだから他も似たり寄ったりだ。
例えば枝野官房長官は最初の頃、何度か防災服の襟を立てて会見に応じていた。枝野官房長官の防災服姿を初めて見た時は、襟が立っているのも分からないほど忙しい(慌てている)のかと思ったが、その後も襟を立てていたから、きっと格好付けだったに違いない。それが証拠に原発被害が深刻な様相を呈しだしてからはずっと襟を寝かせている。

 事態が深刻度を増せば、それに反比例するようにトップが会見しなくなるのはこの国の伝統である。当然のごとく菅首相もその悪しき伝統に従い、最近は官邸に引きこもり状態でメディアに姿を現さなくなっている。逆に言えば、彼が姿を表し出すと良くも悪くも状況が均衡を保っているということだろう。
 いずれにしろ途中から官邸の会見は枝野官房長官のみになった。スポークスマンを一本化したのはいいことだが、そのためかどうかメディアでは他の人の動きがほとんど見えなくなった(報じられない)のは問題だろう。
 例えば松本龍防災担当相。防災担当なのに、メディアでも松本防災担当相の動きが報じられたことはほとんどない。一体どこでなにをしているのか。スポークスマンは枝野氏に任せて、被災現場で陣頭指揮を執っているのならいいが、どうもそういう風もなさそうだ。名前だけの防災担当相でも困るが。
                                                (続く)


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る

シマンテックストア



リゲッタ公式サイト