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建築家・安藤忠雄に二度ならず失望(1)


 今回の新国立競技場デザインの件で審査委員長を務めた安藤忠雄氏が負の脚光を浴びているが、私は彼のファンだった。なにより彼が設計した「住吉の長屋」は機能性を重んじる現代建築に一石を投じたし、コンクリートの打ちっ放しという「半製品」を完成品である建築物に使ったのも衝撃的だった。さらに独学で建築家になったという彼の経歴も引っくるめて建築界の「異端児」でもあった。
 私自身が彼に魅力を感じたのも、その辺りにあったのかもしれない。ただ、「風化する建築」という彼の思想には賛同していたが、コンクリートの打ちっ放しは好きになれなかった。

「風化する建築」と「俺の作品」

 
 安藤忠雄氏の建築物を実際に目にしたのは91、92年、熊本県山鹿の県立装飾古墳館(九州で彼の作品を見ることができるのはここだけ)だった。これは当時、熊本県知事だった細川護煕氏の肝煎りで始められた「くまもとアートポリス」の参加作品の一つで、参加プロジェクトは40近くあったと記憶している。「くまもとアートポリス」はよくも悪くも細川的で、開催中から賛否両論があった。
 細川氏が知事を辞めた後、私は氏にインタビューし、アートポリスのことも尋ねたが、これまたよくも悪くも細川的で、氏に理念、戦略があったのかというと、多少首を傾げざるを得ない。
その後の氏の行動で私の予想が外れたのは政界から離れ、静かな生活を送り続けたことだ。上昇志向、派手なことが好きなタイプと見ていたから、中央政界に復帰するための県知事辞任なのは間違いないと読んでいた。それが先の都知事選に立候補するまで政界から距離を置いた生き方を続けるとは思いもしなかった。まあ、戦略のなさは先の都知事選への突然の出馬でも変わらなかったが。

 話が少し横に逸れた。アートポリスの現地視察会には県立装飾古墳館が含まれていなかったので(恐らく場所が離れていた関係だろう)、別の日に山鹿市鹿央町まで車を飛ばして見学に行った。その時の印象を2001年10月号の「建築ジャーナル」に次のように寄稿したので、以下抜粋してみる。

 <装飾古墳館を見た瞬間愕然とした。畑の中に忽然とコンクリートの打ちっ放しの建物がそびえるのだ。それはなんとも異様な光景だった。この異様さはどこから来るのか。それは周辺の風景との非常なアンバランスさからだ。>
 <さらに驚いたのは、その古墳館で仕事をしている人たちに彼の「作品」がいたって不評だったことだ。なんといっても畑の中にコンクリートの打ちっ放しである。雨が降ればまるで雨漏りのように壁面を湿気が伝う。それよりなにより不評だったのは、内部の使い勝手が悪い上に、壁面にポスターなどを一切張るなと安藤氏から言われたことだったようだ。理由は「自分の作品だから、変なものをベタベタ貼るな」ということらしい。ここまでくれば「建築家」のおごりだ。>

 実は、同じ日、同じくアートポリスの参加作品である清和文楽館も見に行った。こちらは石井和紘氏の作品。コンクリートではなく木材使用の日本建築で、周辺の景色との一体感が保たれていた。
 またまた横道に逸れるが、アートポリスプロジェクトには象(ぞう)設計集団も熊本県立球磨工業高校伝統建築実習棟を設計していた。象設計集団は私の好きな建築集団で、沖縄・名護市役所を設計したことでも知られている。
 建設当初は自然の風を室内に取り入れて空調するなど、地域風土や文化と現代建築を融合した建築物で、機会があれば一度実物を自分の目で見てみたいと長年思い続けていたが、念願が叶ったのは2012年。
 この年、沖縄旅行に出かけたので、なんとしても名護市役所を観たいと思い、わざわざ寄り道をした。その時の写真は「栗野的風景」の2012年7月30日アップ分に載せているので、そちらをご覧頂きたい。

 さて、装飾古墳館である。なぜ、畑の中にコンクリートの打ちっ放しの建築物なのだ、と強烈な違和感を感じたが、それは周辺環境も含めて見た場合のことで、建築物単体で見た場合はよくできていたし、もし別の場所、例えばもっと都会の中などにあれば見方は全く違っただろうと思う。
 そういう意味では安藤氏の建築思想はよく理解できた。装飾古墳館は鹿央物産館から歩いて行くように想定されており、そのアプローチの過程も楽しんでもらうように設計されていた。スロープにはボードで作られた緩やかな階段があり、そこを1段ずつ上がっていけば装飾古墳館の建物が見えてくる仕掛けだ。そして途中には紫陽花が植えられており、紫陽花の季節には花々を楽しみながら歩いて行ける。都会に住んでいる人達にはホッとする空間に違いない。


 ボードを軽やかに歩きながら、安藤氏の設計思想に感心していた。しかし、半ばまで階段を上がって、はたと立ち止まった。これって、なぜ? その思いが私の足を止めたのだった。ボードとボードの間隔が、当時40代の私の足でも広く感じられたからだ。これは年配者にはきついだろう。そう感じ、古墳館の職員にそのことを質すと、車で古墳館の建物前まで来れるように上に駐車場を設けていますとのことだった。
 いま、この階段はどうなっているかといえば、ボードを撤去して普通の階段に代えられている。もちろん段差はグンと狭くなって。あれだけ自らの作品にこだわる男である。まさか外のスロープとはいえ変更を許すとは思えなかったが、安藤氏の了解の下と言ったのには逆にこちらが考えこんでしまった。案外、融通が利く男なのか、作品へのこだわりは・・・・と。
                                             (2)に続く

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