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労働者派遣法が階級化に一役
話を元に戻そう。日本で階層が階級化したのはなぜで、それはいつ頃からか。
労働者が貧困になり始めたのは1986年以降で、階級化が定着したのは2004年以降だと思われる。
1986年は労働者派遣法が導入された年であり、この時は専門職種13業務に限り派遣業務を認めていた。
それから10年間程は雇用側、非雇用側双方とも派遣法を好意的に受け止めていたように感じる。
非雇用側は「自由な働き方が選べる」と無邪気に喜び、雇用側はある意味「解雇の自由」と人件費の抑制手段を手に入れた。
この法律は「毒入り饅頭」だったということに労働者は後(2004年以降)になって気付くことになるが、その時はすでに遅しで、「ハケン」労働者は逃れられない縄で縛られ、生活環境は固定化されて行っていた。
頼れるのは労働組合? と思ったら、労働者の「味方」と思われた「連合」は経営者側で、守るのは正規社員の雇用で、非正規の「ハケン」社員は蚊帳の外というか眼中になかった。
自民党に擦り寄る、あのおばちゃん(と言えば知ったかぶりの人達から、やれ「差別だ」「女性蔑視だ」と怒られそうだが、組合の専従役員は労働貴族で組合員の生活を本当に分かっているのか、と言いたい)達には非正規社員のことなど眼中にないし、助けてはくれない。だって組合費を払ってないのだから。
それに「ハケン」は正社員の雇用を脅かす存在でもあるから、そこに手を指し伸ばす義理はない、と考えている。
ただ、最近は派遣労働者が独自に組合を作る動きが増え、さすがに「連合」も無視することができないと考え、来春の春闘には非正規労働者の賃金アップも要求に盛るようだ。
このように「働き方の自由」を手にしたと思ったものは「不自由な労働」であり、定期昇給、ボーナスもほとんどない固定化された生活になり、いつ「雇い止め」になるかという不安と、昇給しない給与では結婚も出来ず、また子供がいても塾に通わせる余裕もない生活を余儀なくされている。
生活に余裕がなければ大学進学を諦め働きに出る道を選ばざるをないと考えるだろうが、大卒と高校卒では初任給が違うし、高校生活でも低所得層はバイトに追われたりでクラブ活動もできず、また近年は些細なことで理不尽なイジメに遭うこともあり、そこから不登校に陥り、最悪の場合、高校卒の資格すら取れないとなれば、就職時に再び差別されたりする。
親の収入が子の成長に影響するわけで、かくして格差が固定化していく。
(3)に続く
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