| 栗野的視点(No.856)                   2025年4月30日━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 桜と藤と桐の花の思い出
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 春はもっぱら桜の追っかけをしている。
 いつ頃からそうなったのか、なぜ桜の季節になるとあちこちに出かけ桜の写真を撮っているのか。
 もちろん桜がきれいだから、きれいな桜の写真を撮りたい、と思っているからではあるが、桜の花には特別な思い出があり、それが私に桜の花の写真を撮り続けさせ、桜の追っかけをさせている。
 
 「桜前線を追いかけて旅をしたいね」
 そう言っていた妻は桜の季節に私を一人置いて旅立った。
 その数日後、妻の最期を看取ったホスピスを訪れた私を満開の桜の花が迎え、帰り際、一陣の風が舞い花吹雪が私を襲った。
 まるで映画の1シーンのような光景だったが、妻が最後の別れを言いに来たような気がした。
 
 あの光景をもう一度見たい。
 あの光景をカメラに収めたい。
 
 そう思って桜の写真を撮りにあちこち出かけているが、未だ叶わない。
 生前、一緒に旅行したことはほとんどなく、身勝手な私を怒っているのか、それとも呆れているのか、謝ったって許してくれない。
 恐らく終生許してくれないのかもしれない。
 だからか、桜の季節になると桜の花を撮り続けている。
 この景色を、お前と一緒に観たかった、と心の中で呼びかけながら、いつか許してくれる日が来るまで桜の花を撮り続けているだろう。
 
 弟が亡くなったのは遅咲きの桜が別れを告げ、藤が花開きだした頃だった。
 
 ◇         ◇
 
 一見、藤の花と見間違えるのが桐の花。
 桐の花を初めて目にした時は藤かと思った。
 藤にしては高い所に咲いているし、花が上向きなのが気になったが。
 それが桐の花だと分かったのは今から15年前のゴールデンウィークの頃。
 (2)に続く
 
 
    
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