賢治のようにはなれないけれど(2)
〜世々の道そむく事なし


世々の道そむく事なし

 賢治に関しては門外漢なので詩の解釈は専門家に委ねるとして、私はこの詩を読んだ時、なぜか宮本武蔵の「独行道」を思い出した。
 宮本武蔵が晩年を熊本で過ごしたのはよく知られている通りだ。細川忠利に招かれて熊本に落ち着いたものの、程なく忠利が没し、その数年後に武蔵自身も没する。熊本で過ごしたのはわずか5年だったが、この間に「兵法35箇条」「五輪書」を著し、自らの生き方を「独行道」という形で門人の寺尾信行に残した。
 余談だが、吉川英治が小説にした宮本武蔵の人物像は多分に「独行道」が下敷きになっている。
 以下、独行道を記す。

世々の道そむく事なし
身に楽みをたくまず
よろずに依怙(えこ)の心なし
一生の間よくしん思わず
我事におひて後悔をせず
善悪に他をねたむ心なし
何れの道にも別をかなしまず
自他共にうらみかこつ心なし
れんぼの道思ひよる心なし
物事にすき好む事なし
私宅におひて望む心なし
身ひとつに美食を好まず
末々什物となる古き道具所持せず
我身にいたり物いみする事なし
兵具は格別よ(余)の道具たしなまず
道におひては死をいとはず思ふ
老身に財宝所持もちゆる心なし
仏神は尊し仏神をたのまず
常に兵法の道をはなれず

 「求道者」宮本武蔵の面目躍如である。まるで聖人君子。女に恋することもなく、他を妬むこともなく、美味しいものを食べたり、遊びに興じることもなく、兵具は別にして、それ以外の物には興味を示さず、ただひたすら武芸の技を磨き、いざという時に備える生活だと記しているのだが、この文章には主語も述語もないから、それが武蔵の日常生活だったのか、願望なのか、あるいはそうあるべきだと諭しているのかが分からない。
 私には多分に武蔵の願望というか自戒の言葉に聞こえて仕方がない。今風に言うなら座右の銘か企業理念のようなものではないかと思える。額に入れて毎日それを眺めるだけの。
 大体、企業理念からして「お題目」みたいなもので、願望や目的でないところもある。いわんや企業理念さえ掲げていないところは、それさえもないということだろう。

 人は誰しも、閻魔大王に見(まみ)える頃になると、それまでの人生を振り返り、多少なりとも格好よく生きたいと思うものらしい。自己顕示欲の強かった武蔵はなおのことだろう。自分が死んだら甲冑を着せ、細川藩が参勤交代で通る大津街道沿いに埋めて欲しいというのが武蔵の遺言なんだから。
 「甲冑を着せ」、つまり侍大将の格好をして埋葬してくれ。死して後々までも細川藩の守護に当たりたいというのだ。ちょっと格好付け過ぎるのではないかと言いたくなる。というのも武蔵は一度も仕官したことがなく、常に客分の身分だったからだ。
 要は社長のアドバイザー、相談役、顧問のような形である。当然、社員ではないから部下もいないし組織を動かすこともできない。にもかかわらず部隊を率いる大将の格好をして埋葬してくれというのだから、本心では大将になりたかった、客分ではなく、それなりの立場の藩士として仕官したかったとに違いない。そのことは細川忠利宛の手紙にも読み取れる。
                                               (3)に続く

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