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グローバルとローカル〜県民性


標準化が世の中をつまらなくする

 グローバル経済にグローバル社会、グローバル市場、グローバル企業、グローバル戦略、グローバルマーケティング、グローバル人材・・・。世はあげて「グローバル」時代である。「グローバル」が標準で、「グローバル」と言わないと時代遅れのような感さえある。その一方で「地産地消」が言われ、また民族間の紛争が増えるなど、逆にローカルが注目されている面もある。
 ローカルといえばかつて「県民性による違い」が言われたことがある。
例えば熊本県人は「肥後もっこすだから」とか、岡山県人は××だ、というものから始まり、「博多時間」「宮崎時間」「沖縄時間」など、各地域に標準時間とは別に「地方時間」というものがあった。 
 こうしたことを知らずに域外から転勤その他で来た人は、とんでもない目に遭わされたものだ。会合時間に会場に行っても誰もいなかったり、約束の時間を守らないというのは普通で、それで怒ると「○○時間というのを知らんのか」と逆に説教されたりした。
 時代とともに標準時間と「地方時間」の差は縮まっていくが、福岡では新幹線開通で関西圏からの人の往来が増えたことが差を一気に縮めた。その後、福岡は「支店経済」「1%経済」と言われるように、域外経済の影響を色濃く受けることになる。それにつれ「郷に入りては郷に従え」というローカルの常識・ルールより標準常識・ルールの方が重んじられるようになっていった。
 実際、1970年代初頭まで九州では関西弁を嫌う風潮があった。「男は黙って」ではないが、口先でべらべら喋る人間は軽く見られ、「九州男児」は無口で木訥で、そういう人間の方を信用したような風潮があったように思う。事実、私の関西訛りはその頃矯正され、以来関西弁でも、博多弁でも、岡山弁でもなく、時にそれらが多少混じる程度の、比較的標準語に近い「デラシネ(故郷喪失者)言葉」になった。

キーの情報はアナログ

 人の往来は物と同時に情報を運ぶ。
逆に言えば、物と情報は人に付随していたわけで、人を知ることが情報を知ることであり、情報を得るためには人と知り合いになる必要があった。情報を持った人と知り合いになる(人脈を作る)ことがビジネスに大きく影響した。
 それが交通網の飛躍的な発達とインターネットの普及で、地理的な距離は時間的に大幅に短縮され、情報が人に付属する属人性の割合はかなり減少した。
 結果、ある程度の情報は誰でも入手できるようになり、情報が普遍化していく。ところが、情報が普遍化すればするほど、本当に知りたい情報が入手できなくなるという皮肉な現象が起こってきた。
 情報に本当に価値があるのは量ではなく質である。誰でもが入手しうる情報をいくら多く知っていても、そうしたものに情報としての価値はなく、価値があるのは誰もが知らない情報、インターネットなどでは入手できない情報である。

 そうした本当に価値ある情報を入手するには昔ながらのアナログ的な方法、人と会い、人から直接入手する以外にない。
 デジタル全盛時代にアナログ情報の方に価値が生まれてくるというのはなんとも皮肉だが、こうしたことは情報に限らず起きてくる。
 つまりあるものが飽和状態に達すると、それまで少数だったものの価値観が高まってくる。手作りから機械加工・量産の時代を経て、再び手作りが見直されるように。

 といっても手作り品が量産品に取って代わるというわけではないし、そういう時代が来るというわけでもない。
「時代は逆行しない」−−このことは真実である。
取って代わるのではなく、一部復権する、ということだ。
二極化するのでもない。
あくまで一部復権するということだ。
ただ、この復権に意味がある。
そこで生き残れるビジネスもあるからだ。
マスマーケットからスモールマーケットへと言えなくもない。

 グローバル化が進めば進むほど、その対極であるローカル化も進む。
つまりグローバル化とローカル化はどちらか一方が相手に取って代わるという関係ではないのだ。
 これをマーケットという観点から見れば、どちらのマーケットで生きていくのかを決めることは重要である。両方のマーケットを狙うなんてことはあり得ない。グローバルとローカルでは取る戦略が違う。にもかかわらず、特徴を持たない企業ほど欲張って全方位的な商品開発を狙いがちだ。

幻に終わった第2国土軸構想

モノと情報が人によって運ばれていた時代にはエリア攻略戦略ははっきりしていた。
例えば九州を攻略するには2つのルートがあった。
1つは福岡−熊本−鹿児島と進むルートであり、もう1つは北九州−大分−宮崎−鹿児島と行くルートだ。
 前者が国道3号線、後者が国道10号線ルート。鉄道で言えば鹿児島本線に沿って下るルートと、日豊本線沿いに下るルートである。
 鹿児島から上るルートは上記のルートを逆に辿ることになる。上るにしろ下るにしろ、このルートを無視して企業が拠点を築いていくと途中で失敗するか、随分時間がかかったものである。特に鹿児島の企業が攻め上る場合は。

 近畿から九州に至るルートも2つ存在した。
1つは国道2号線(山陽本線)ルートであり、もう1つは近畿ー淡路島ー香川ー愛媛ー大分という四国を通るルートである。
 実は四国ルートは「第2国土軸」として80年代に構想されたことがあるが、具現化することはなく、その後中四国大橋建設計画に取って代わられた。

 いずれにしろこうしたルートは人の流れと密接に結び付いており、それが経済的な結び付き、流れでもあった。そしてローカルには特色があった。
 それが一変したのはバブル期。金にあかせて人の流れ、経済的結び付きを無視し、地方から一気に首都圏に拠点を構える企業が続出し、グローバルスタンダードなどという言葉で全国一律同じ商品を流し、同じやり方で攻めて行った。結果はよく知られるように、当事華々しかった企業はその大半が市場から消えていった。
 補給線が伸びすぎると失敗するというのは今も昔も変わりない真実なのか。

ローカル復権の動きも一部で

 個人的にいま危惧しているのは、若者が全国で同じ言葉を使っていること。それだけではない。若者の間で流行している言葉を、今度はいい大人が平気で使っている。これは非常に危険なことだ。
 言葉は思考である−−。
年代と地域を超えて皆が同じ言葉を使うということは、皆が同じ思考をしているということだ。若者言葉(特にTVを通して広がっている)を使っている大人は自らを同じレベルに成り下げていることでもある。
 違いを認めない社会は不幸である。息苦しい。
しかし、同じ思考をする人達にとっては安住、安定できる安全圏社会といえる。
そんな同一思考からは新しいものは生まれないし、新しいマーケットも切り開けない。

 ところが最近、ローカルが復権する動きが一部に見られ出した。B級グルメによる地域おこしもその一例かもしれないが、特に食の分野ではローカルのおいしい食材を探し、それを消費者に売り込もうという動きが起きている。
 こうした動きはある意味「目黒のさんま」現象といえなくもない。いつもご馳走ばかり食べている殿様が庶民が食べているさんまを食べて、世の中にこんなにおいしい食べ物があるのかと感動した落語噺だが、ローカルが注目される時代に少しなりつつあるのは事実のようだ。
そういえばTVで「県民ショー」というのも人気(?)だ。

 ところで、県民性による違いはいまでも存在するだろうか。
存在するといえば存在するような、ないといえばないような気もするが、表現が上手な県、下手な県はたしかに存在する。
 私の仕事に関して言えば、企業や商品のことを少しでも書くと謝辞その他を即座に返してくる県と、ほとんど反応がない県がある。
当然、前者の方がうれしい。反応があればもう少し書き足したくなるのが人情だ。逆に反応がなければ、当初の予定を変更して分量を減らしたくもなる。最初は人による違いかと思ったが、そうしたことが何度も重なると「これって県民性?」と思ってしまう。



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