責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(2)


 私の田舎の子どもはよく挨拶をする。道をすれ違った時に「こんにちは」と声をかけてくるのだ。感心したのは車道を挟んで向こう側を歩いている子どもが挨拶をしてきた時。道路の向こう側を歩いている人にまで声をかけるというのはなかなかできない。中学生ぐらいになると、そういうことに気恥ずかしさを覚えたりもするから、なかなか声をかけられないものだ。
 田舎の子はよく挨拶するが、都会ではあまり見かけない。疲れた顔をしてダラダラと歩いているか、スマホを見ながら歩いている子は多いが、すれ違う時に「こんにちは」と声をかけてくる生徒にはほとんど会わない。
 それどころか一度、車のトランクが開いていることを知らせる警告ランプに気付き車を駐めたところ、車の少し先にいた少女がこちらを伺うような目で見、道路の反対側に素早く走って渡った。
 その子は辻から出てきたので、安全を確認し、道路を急いで渡ったのだろうと思ったが、その後、何度もこちらを振り返りながら走り去る姿を見て別のことが頭を過ぎった。どうも怪しい人物と疑われたらしい。そういえば最近、子どもを車に無理矢理乗せ誘拐する事件が後を絶たないから、車には注意しなさいと親から教えられているのだろう。
 この少女の対応は正しいと褒めるべきなのだろうが、怪しい男と疑われたこちらはなんとも複雑な気持ちになった。

感謝の意も直接伝えられず

 それはさておき、学校の行き帰りに子どもが挨拶をしてくるのは実に気持ちがいい。このまま真っ直ぐに育って欲しいと思う。そして、そういう子どもを育てている校長に一言感謝の意を伝えたいと思った。
 そう感じたところで即行動すればいいのだが、根が不精者だからなかなか行動に移さない。そうこうしているうちに1年あまりがたってしまったが、帰省している時、そのことを思い出し校長に会いに行った。
 好事門を出でず、悪事千里を行くという。苦情を言いに来る人は多くても、感謝の言葉はなかなか耳に入らないだろうと思っていたから、手紙や電話ではなく、やはり直接会って校長の教育がこのように実っているということを伝えたかった。
 学校でK校長に面会を申し込むと、春に別の学校に異動になり、本校にはもういないと言われ、ちょっとがっかり。
 応対に現れた年配の女性教師はそう返事しながらも怪訝な顔で「どちら様ですか」「どういうご用件でしょう」と尋ねてきたから、その無愛想な対応に多少不快さを感じながらも、面会趣旨をきちんと説明。
 「ここの生徒達はよく挨拶をすると帰省の度に感心していたが、1年前のPTA新聞に校長の挨拶文が載っており、生徒がよく挨拶をするのは校長の教育方針の賜物だと感じ、直接お会いしてそのことを伝えたくて」
「K校長先生はこの春転勤で他に異動されました」
「そうですか。どちらに異動されたのですか」
「それは個人情報ですのでお教えできません」
「えっ・・・」。絶句してしまった。
 そんなこと個人情報ではないだろう。教員の人事異動は毎春、新聞にも掲載されているし、用件も話しているのだから、「校長も直接そういう風に言われると喜ぶと思いますよ」と言うならまだしも、相手はオウムのように同じ言葉を繰り返すだけ。「個人情報ですから」と。

 こちらの質問に対し同じ言葉をただ繰り返すだけの人は近年増えている。ただし、それは若い人によく見かける傾向で、今回のように年配の教師では珍しい。いずれにしろ問題解決とは程遠い態度で、そこにあるのは責任逃れ。もし、なにかあった時に上司や他から責められたくないという自己保身だ。
 いい話はなかなか耳に入ってこない。だからこそ、校長に会って直接伝えたかったが、その女性教師と言い合っても仕方ないので、それは諦めた。

 それにしても個人情報保護法って一体何だろう。いろんなところで、「ここで知り得た情報は○○以外には利用しません」などとよく明記されているが、それを言葉通りに信じている人がどれぐらいいるだろうか。少なくとも私は全く信じていないが。
 銀行であれクレジットカード、アンケートであれ、なにかに記入すれば相変わらず数日後から1か月以内ぐらいにどこかから何かしらの案内や電話が届くし、大量の会員情報が漏洩する事件は後を絶たない。結局、個人情報云々は責任逃れの言い分けに使われる常套句でしかない。
 個人情報ももちろん大事だが、それ以上に情報開示の方を積極的に行って欲しいものだ。そうすれば不正行為に対し追跡調査も出来るし、誰がどこで、いつ、個人情報を流したのかも究明できるというものだ。ところが今、この国は逆の方向に動いている。その先に一体何が潜んでいるのか−−。




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