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オキナワ雑感〜象設計集団に触れたくて


名護市役所を目指す

 2泊3日の沖縄旅行から無事に帰ってきた。
「無事」の意味は後に触れるとして、旅行の目的は観光というか撮影旅行である。行き先は沖縄本島。「離島の方がいいだろう」と弟から言われたが、なぜか離島は端から頭になかった。観光と言いながらも、どこか純然たる観光だけを楽しめない何か、それが何かは自分でもよく分からないのだが、常に私の中のどこかにそうした意識、へそ曲がりな意識があるのかも知れない。

 それはさておき、沖縄には取材も含めると5、6回は行っている。にもかかわらず、あまり観光をしたという思いがない。那覇のメーンストリート、国際通りをゆっくり歩いてショッピングをしたり、ステーキを食べたり、ビーチで泳いだりしたことがないからかも分からない。
 首里城は取材の合間に急ぎ足で見ただけだし、20年程前、GW期間中に行った時には屋根の上のシーサーの写真ばかり撮っていた。車で案内してくれた、沖縄の友人から「こんな人は珍しい」と呆れられたほどだ。

 そこで今回は観光地巡りを最低でも1、2箇所入れることにした。同行の友人と行き先で一致したのが首里城。あとはそれぞれの希望を出し、コースを組むことにした。友人の希望は美ら海(ちゅらうみ)水族館。私は今帰仁(なきじん)城跡。沖縄には城(グスク)跡が結構残っており、首里城に次いで有名なのが今帰仁城跡。今帰仁城跡と美ら海水族館はすぐ近くだったので、ここに行くコースはすぐ決まった。
 問題はその他の場所、実は私には密かに行きたい場所があり、そこを回れるコースを組めるかどうか分からなかったので、当初は伏せていた。ところが地図で確認すると美ら海水族館に行く途中に、それほど回り道をせずに寄れると分かったので、今帰仁城跡に寄る時間を割いてでも行きたい場所として2箇所を挙げた。
1つは名護市役所。もう1つが嘉手納(かでな)だ。

名護市庁舎 なぜ市役所などにと不思議がられそうだが、名護市役所に用があるわけではない。見たいのは名護市庁舎。要は市庁舎の建物を見たかったのだ。
 最初に名護市庁舎を見てみたいと思ったのは、もう20年も前。新聞記事だったか建築関連雑誌だったか、どちらで先に見たのか思い出せないが、この建物のことを解説した記事は私に鮮烈な印象を与え、以来、機会があれば自分の目で見てみたいという思いに駆られていた。いうなら初恋の相手に会うような気持ちをずっと抱き続けていたわけだ。

恋い焦がれた象設計集団

 何がそんなに魅力なのか。
話せば長くなるが、私は日本の建築家の作品づくりに疑問を感じていた。なぜ皆、西洋建築を是とし、「広場」を作りたがるのか。「広場」は西洋の思想であり、日本には「広場」はなく、「通り」が「広場」の役割も併せ持っている。内と外の境界をはっきり引く西洋に対し、内と外の境界が「あいまい」なのが日本建築なのだ。
 ところが近代日本の建築は日本式建築の全否定、西洋建築の全肯定であり、建築といえば西洋建築である。その一方で、西洋建築一辺倒の見直しから、近年、日本文化を取り入れようという動きがあり、そういう動きに賛同する建築家達が「鎮守の森」を主張しだした。鎮守の森など見たこともないはずの年代層までが「鎮守の森」を取り入れたがるのだ。
 こうした流れに、私は非常に懐疑的だった。
そうしている中で出会ったのが象(ぞう)設計集団の作品だった。1981年に完成した沖縄・名護市役所、1991年の熊本県・球磨工業高校実習棟、同じく同年完成の大分県・由布院美術館(残念ながら2012年3月閉館)。
 彼らの設計思想は私が求めているものだった。だから機会があれば沖縄で名護市庁舎を実際に見てみたかったのだ。当時の設計思想がそのまま生かされているのか、それとも変えられているかも確かめたかった。

 象設計集団はこの名前が記すように通常の設計事務所ではない。緩やかな連合体、共同体のイメージに近い。初期の設立メンバーが語っているように、誰らを象設計集団と呼ぶのか、どこまでを象設計集団と呼ぶのか、その線引き自体はっきりしないが、少なくとも彼らが象設計集団であり続けるためには、彼らが「7つの原則」と呼ぶ思想を共有していることが大前提だろう。設計思想、設計理念と言わず、彼らは「日頃、最も大切にしている事柄」と表現している。

 以下、7つの原則を記しておこう(抜粋)。
1.場所の発見
 建築がその建つ場所を映し出すことを望んでいます。デザインが場所や地域の固有性を表現するよう努めます。村を歩きまわり、景観を調査して、土地が培ってきた表情を学びます。人々の暮らしを見つめ、土地の歴史を調べます。このようにして、デザインのなかにその場所らしさを表現するための鍵やきっかけを掘り起こしてゆきます。
2.住居とは何だろう?学校とは?道とは?
 人々と共に考え、新しい生活のしかたを提案していくことが象の仕事の重要な部分となります。
3.多様であること
 建築とは人々の出会いです。私たちは計画する空間の中に形態、素材、スケールの多様性とそれらを結びつける秩序を用意します。
4.五感に訴える
 光と影、音、香り、手ざわりや足ざわり、運動感覚を通じて空間の特性を感じ取り、さらにその外の世界とのつながりに心を向けてほしいと願うのです。
5.自然を受けとめ、自然を楽しむ
 デザインの過程でもっとも重要なことは、建築と自然環境との調和を図ることです。私たちは、季節の移ろいに対する感受性を高めるような空間をデザインしたいのです。
6.あいまいもこ
 あいまいもこは、限定されないで、どっちつかずで、はっきりしないことです。建築か庭か街か、内部空間か外部空間か、・・・。
7.自力建設
 自力建設とは、自らの地域を自らの手でつくり上げていく哲学です。
方法論を場所にもち込むのではなく、場所がもつ初源的な力を発見し、それらを収斂させることなのです。最後に、空間の緑化がもっとも大切です。

名護市庁舎のシーサー 沖縄を象徴するものはシーサーと赤瓦屋根。名護市庁舎にはそれが見事に再現されている。建物を見た瞬間、「あっ、沖縄」と誰もが感じるに違いない。
 次ぎに私の最大の関心事、自然との共生はどうなっているのか。
「穴ぼこだらけ」。沖縄の友人はそう評したが、まさにその通りで、屋根も壁もブロックの隙間だらけだ。それが沖縄の強い陽射しを受け、幾何学模様の美しい陰を作り出している。
 視界が向こうまで抜けていき、圧迫感がない空間。2階、3階には沖縄の伝統的なコミュニケーション場「アサギ」を生かしたアサギテラスが作られている。
 アサギテラスには植物が植えられ、水が張られ、憩いの場であると同時に、空調も兼ねており、風が頬を撫でていく。

骨抜きにされていたコンセプト

 だが、どこか違う。何かが違う。
よくできているが、何かが欠けていた。
形はよく真似ているが、本物とは違う模造品のような感覚を覚えていた。
そう、当初のコンセプトがなくなっているのだ。
「あいまいもこ」とした部分がなく、内と外との境界が引かれ、視界が窓やドアで遮られ、風の通り道が遮られているのだ。
「風の通り道」こそコンセプトなのに、そのコンセプトが台無しにされていた。
窓ガラスとドアで仕切られた室内にはエアコンが設置され、外界と遮断されていたのだ。

 なぜ?
省エネ、環境への取り組みに反する動きではないか。
そう感じ、尋ねると「沖縄サミットの時にエアコンが設置されました」という返事が返ってきた。
沖縄でサミットが開催されたのは2000年だ。その時の会場になったのが名護市である。
世界の首脳が訪れるのにエアコンもなかったら失礼だろう。
恐らくそんな考えで名護市庁舎の設計コンセプトを台無しにしてでもエアコンを設置したと思われる。
気の小さい政治家か、外務省の役人が事前に指示したのではないだろうか。
 大いなる落胆と腹立たしさを覚えたが、それでも象設計集団の代表作に会えたことに満足した。

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