滅びの危機に瀕している人類
文字を持たなかった(残さなかった)民族は別の方法で数を数えていたし、望遠鏡もないのに星の正確な動きを計算し、それを基にカレンダーを作り利用していたことも分かっている。
そう、過去の文明は未発達でも遅れていたわけでもないどころか、むしろ現代人と同等かある部分ではより優れていた。
ところが、繁栄を誇った文明がある時(数10年から数100年の期間)滅び、消滅してしまったのはなぜか。
そこには様々な要因があるだろう。ある民族は他民族の侵略により滅びたのかもしれないし、急激な気候変動の影響を受けたのかもしれない。
ポンペイの市民は噴火の影響で文字通りあっという間に灰に埋もれ都市ごと滅びたし、メソポタミアやエジプト、インダス文明などは滅びはしたものの歴史上に足跡が残っており、高度な技術と文明を持ち繁栄したことが分かっている。
ところが「消滅した」としか考えられない文明もある。しかもそれらは高度に発達した文明だったことが残された遺跡等から推測されている。
他民族との戦いに負け、皆殺しにあったわけでもなさそうだ。仮に戦いで敗れ殺されたとしても民族が全滅し、地上から忽然と姿を消したとは考えられない。生き延び、別の地域に逃げ、そこで生きていった者もいるはずで、だとすればその地に何らかの足跡が残されているはず。
だが、その文明が引き継がれた痕跡がほとんどないのはなぜか。
文字がなければ絵や図形で残すし、文字で残すことができない(正史として)場合は伝承や物語に形を変えて残していっている。桃太郎伝説や各地に残る国盗り(国譲り)物語は大和政権(中央政権)対地方政権の覇権争いを敗れた地方政権側の立場で記した「史実」である。
それはさておき、なぜ一時代を築いた文明がある時を境に滅びたのか。
そこにはある共通点があることに気付くだろう。
いずれの文明も未発達な文明ではなく成熟した文明だったということに。
例えるなら花が咲き、実が成り、熟して落ちていくのに似ている。
文明は爛熟すると滅びる運命にある、と言えるかもしれない。
逆の言い方をすればある文明がまだ発展途上にある段階では滅びないということだ。
さて、我々ホモサピエンス・サピエンスの文明はどの段階にあるのか。
科学技術は発達し、異星にロケットを飛ばし、異星移住計画さえ実現しようとしている。
その一方でホモサピエンス同士は協力するのではなく互いに排除し合うようになっている。そして、その関係(互いが互いを食い合う関係)はもっと小さな単位間でも行われている。
大が小を搾取し、富める層はさらに富を求め、持たざる層から容赦なく取り上げていき、社会は富める層と下層に分化し、この2極の間で交流、循環、往来はない。
つまり富める者が持たざる者から搾取する関係は固定化され、永遠に続き出している。
一部にはこの関係を変えなければホモサピエンス・サピエンスに、あるいはこの星に未来はないと気付いているが、滅びた文明同様、その関係を壊そうというエネルギーを持っている者はいない。
すべての者が、ホモサピエンス・サピエンスすべてが爛熟した文明にどっぷり漬かり、それを享受していると受け止めているからだ。
爛熟なのか「濫熟」なのか。
広辞苑によれば「爛熟」とは「熟し過ぎること」「極限まで発達すること」とある。
一方「濫」は氾濫の濫であり、「あふれること」「度が過ぎること」とある。
「爛熟した文明」とは両方の意である。
頂上を極めれば後に待っているのは下りのみ。かつて一時代を築いた帝国はローマもモンゴルも英国も衰退し、戦後一大帝国を築き君臨したアメリカも今下り坂を転げ落ちている。ロシアは論外とし、アメリカに取って代わることを目論む習近平の中国は「帝国」の要件を満たさず、内部崩壊を起こすだろう。
驕る平家は久しからず、というのは洋の東西を問わず真実のようだが、今回は世界の文明が爛熟段階に入っているだけに対岸の火事では済みそうにない。
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