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 総理になり損ねた男達(3)−小沢一郎のミス


 燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん
小沢一郎の気持ちを代弁すればこうなりそうだ。
燕雀(えんじゃく)とはツバメやスズメといった小さな鳥のことで、鴻鵠(こうこく)はオオトリやクグイといった大きな鳥のこと。小さな鳥には大きな鳥の志は分からない、つまり小人物は大人物の遠大な志を知ることができない、という意味である。
 そういう意味では小沢が最後の政治家といえるが、彼の不運は燕雀が多くて(失礼)彼の志を理解するものが少ないということだ。

 最近は自民党、民主党の中に政治家予備校的な松下政経塾出身の政治家が増えているだけに、小沢の口はますます重くなり、考えるときは外界を遮断し、一人籠もって思考するというパターンは今後も減ることがないだろう。
 これを古いタイプと切り捨てることは簡単だが、思考を練るにはこの方が適している。
ただ情報不足に陥りやすいのと、「燕雀」の気持ちを理解しにくいという欠点はある。

 その一方で小沢には歯がゆさもありそうだ。
例えば今回の代表辞任直前に彼は次のようなことを言っていた。
「(辞任に関する)色々な話は知っている。だけど、俺に会ったときは誰も直接そう言わない」
陰でゴチャゴチャ言うな、辞めて欲しければ辞めて欲しい、と直接言え。そんな根性もないなら色々言うな、ということだろう。
逆にいえば、直接言えるぐらいの政治家になれということかもしれない。

 いずれにしろ民主党が「風頼み」の政党で、しっかりとした選挙基盤がない(基礎票が少ない)のは事実で、ちょっと風が吹いてフラフラするようではダメだというのが小沢の考えだろう。
この辺りは創業者と2代目経営者の違いによく似ている。

 今回、小沢は2つのミスを犯している。
1つはもちろん西松事件に関することだが、「検察権力の政治的な介入」を批判することで乗り切れると踏んだことだ。確かにその後自民党側への捜査の手が入っていないことを見れば、小沢サイドの指摘に理がある。ただ国民が望んでいることは平等捜査のことではない。事実関係の「説明」だ。小沢自身は「やましい点はない」「適正に処理している」と言っているのだから、その点をきちんと説明する必要があった。
 ここで対応を誤った。
もし、早い段階で事実関係を説明し、国民との対話をしていたなら、代表辞任にまで至らなかったかもしれない。
ところが、事実関係の説明を避け、「きちんと処理している」というだけだから、「逃げている」という印象を国民に与え、それが不信につながっているのは事実だ。
 微笑みかけた運命の女神が小沢から離れた瞬間である。

 もう1つのミスは「だったら一切の企業献金禁止にしよう。個人献金一本でいい。その方が分かりやすい」と、自らの献金疑惑に対する説明の代わりに企業献金全面禁止を打ち出したことだ。
「クリーンな選挙」と「選挙に金がかかる」のは別問題である。
米大統領選挙を見ていても選挙に金がかかるのは事実だ。ただ、米国の場合は選挙資金で大統領が決まるという側面もあり、あそこまでいくとちょっと行きすぎだとは思うが、今後も選挙費用が増えることはあっても減ることはないだろう。
 問題は「どこから入った資金」かではなく、「何に使ったのか」ということのはず。
資金の透明性を高めることこそ問題で、企業献金をいくら規制しても、献金疑惑はなくならないだろう。今回でも一部明らかになったが、企業が社員個人個人の名前で分散して献金するだけで、一層見えにくくなる危険性がある。

 「チェンジ!」と言って大統領の椅子を射止めた男がいれば、「まず私が変わる」と言いながら変わり切れずに総理の椅子を逃した男がいる。
両者の違いはどこにあったのか。
国民との対話を重視したかどうかだ。
そこに気付かない男に運命の女神が微笑みかけることはもうないだろう。
能力も手腕も見識もある政治家だけに、なんとも惜しい−−。
                                          (文中敬称略)



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