デル株式会社

 


人は進歩しているのか、それとも退歩か。(1)
〜30年前より増加している教員の性犯罪

栗野的視点(No.713)                 2020年11月12日
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人は進歩しているのか、それとも退歩か。
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半身浴で断捨離

 最近、というか1年余り前から入浴時間が長くなった。それまでも半身浴で比較的長めの入浴だったが、昨年、脊柱管狭窄症を患ってから、さらに長くなった。それも夜より早朝に入浴することの方が多い。
 起き抜けでこわばった筋肉を温めてほぐすわけだが、入浴時のお供は本。といっても浴槽に浸かりながら読むから、当然、本は湿気でふやけるばかりか、大抵、表紙はボロボロになる。だから新しい本や大事な本は持ち込めない。勢い捨ててもいいような古い小説本とか雑誌の類になる。

 実はこれが断捨離になる。いままでなかなか捨てられなかった本や、タイトルに釣られて買ったもののざっと目を通しただけという雑誌類他が結構あり、それらを持ち込んで読んでいるうちに、あることに気付いた。20、30年前の本が多いのだ。
 その頃はよく本を買っていたということだが、最近はほとんど買ってないということでもある。たしかに、この10年程は極力本を買わないようにしてきた。それは収納スペースがもうないからで、それでなくともツンドクばかりなのに本当に積んどくになってしまう。そうなると後は貸本屋でもするしかない。

 というわけで本を買うのを止めた。不買に効き目があるのは商品に近付かないことだから、書店には近寄らないことにした。そして一部は紙からデジタルに替えた。
 これは効果的だった。オンラインがこの頃の流行りらしいがオンライン書籍は読めるものではない。オンライン読書に向いているのは小説か短編もので、分厚い本などとてもではないが読めない。第一、付箋が貼れない、線が引けない。それでは後追い読書ができないし、一部引用したい時などに、その箇所を探すのが大変だ。そういうわけでデジタル書籍も小説を数冊買っただけで止めた。

 そんなこんなで入浴時に持ち込むのは捨ててもいいような古い雑誌類や小説になる。そして上記のような20、30年前に買った本の多さに気付いたというわけ。
 元々遅読、遅筆に積読(ツンドク)を得意としていたが、それに今回、未読が加わった。

 ところが面白いもので、捨てるのが目的で読み出したものの、逆に捨てられなくなった。特に歴史関係本などは最近の出版物より考察が深く、資料価値があることに気付き、再度書棚に戻したりしている。これではなんのための断捨離か分からない。
 まるごと本1冊ではなく、必要な部分だけを残せばいいが、書き写すのは時間がかかる。ではスキャナーで読み込むかと思うが、それも色々と余計な時間を使う。物は捨てられても時間が増えれば断捨離どころか逆効果だ。

30年前より増加、教員の性犯罪

 まあ、それはさておき、30年前の雑誌類が結構面白い。内容に古さを感じさせない。ということは今の世相が30年前と似通っているということになる。政治の構造も金融犯罪も性犯罪も全くと言っていい程変わっていないことに驚く。
 特に教師による「わいせつ行為」は減少するどころか増加しているのだ。本メルマガでも過去に何度か「聖職」は「性職」と書いてきたが、なぜ教師による「わいせつ行為」は減らないのか。「わいせつ行為」という言葉はセクハラという言葉と同じで事の重大さが伝わって来ないが、内実は性犯罪である。

 例えば2018年度にわいせつ行為等で処分を受けた教員は過去最多の282人を数えた。これは文部科学省が発表した数字であり、実態はもっと多いと思われるし、何より問題なのは再発を防ぐ対策が講じられてきていないことだ。
 なぜなのか。1つには学校という閉鎖社会の問題があり、もう1つは情報の秘匿性、そして環境の変化が挙げられるだろう。

 いかなる組織でもそうだが、組織には自らを守ろうという力が働く。それが情報の非公開という形で現れる。ひどいのになると事件そのものをなかったことにしようとする。まず当の教師自身が被害者に内密にするように力をかける。さらに校長、教頭などの管理職が自らの評価に影響することを恐れ、内々で「穏便に」済ませようとする。かくして表面化するのは氷山の一角である。

 教師による性犯罪で最も多いのは生徒や教え子が被害者になるケースである。そこには元から対等な立場ではなく、力の強い者が弱い者を虐げる構造があり、被害者が声を上げにくくなっている。
 言い方を変えれば、その構造を狡猾に利用した性犯罪であり、その分悪質と言える。

 性犯罪は常習性があると指摘されている。つまり一度「わいせつ行為」に及んだ教師は何度も繰り返す危険性(再犯性)が高いということだ。となるとますます防止策が必要かつ重要になるが、それを邪魔しているのが情報非公開だ。
 要は被害者保護を盾にした問題の隠蔽と、個人情報保護を盾にした犯罪教師の情報非公開である。こうした「個人情報保護」に基づき犯罪内容はおろか加害者情報さえ公開されないから警戒のしようさえない。

 「わいせつ行為」に及んだ教師は他校に転向させられるのが落ちで、転校先の教師達も当の教師の前歴を知らないことも多く、それがまた再犯を犯しやすくなる。
 では免職になった教員はどうなるかといえば、3年後に都道府県教委に申請すれば再取得できるのだ。3年間我慢すればまた教職に就けるわけで、そうして復職した人間も結構いる。中には改名して前歴が分からないようにして再び教員になったものの、程なく「わいせつ行為」に及んだ者もいる。
 教師による「わいせつ行為」がここまで増えると、さすがに何らかの対策を講じざるを得なくなり(30年もの間放置していたが)、やっと教員免許の再取得期間を3年から5年に延長することが決まりはしたが、その程度のことでは防止策にもならないだろう。

 3つ目の環境変化はSNSの普及である。30年前にはSNS自体が存在してなかったため、教師と生徒が個人的に繋がる機会はほぼなかったと言っていい。ところが今は学校行事や授業の連絡等にLINEなどのSNSが使われている。個人的な連絡での使用を禁じている学校が多いが、「わいせつ行為」に及んだ教師が実際にSNSで呼び出している例などを見ると様々な名目を付けて、SNSを通じて生徒に連絡を取っている教師は結構いるということだし、今後もSNSを利用した性犯罪が減少することはなさそうだ。
                             (2)に続く

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