終活に向けて(1)
母を連れて8時間の車旅


 先月末からホコリとゴミの中で生活している。誇りはとっくに捨て、いまやすっかり丸くなったはずだが、やっかいなのは部屋の各所に長年棲み着いているホコリ。書棚の奥の本や段ボール箱、カセットテープの上など、どんな所にも入り込み、そこにしっかり根を下ろしているから堪らない。
 一方、室内はというとあらゆるものが散乱し、足の踏み場もないとはまさにこのこと。かろうじてベッドの上とダイニングテーブルの上だけわずかなスペースがある。これで食べる所と寝る所は確保。そして空気清浄機を回しぱなしにして寝ている。ゴミ屋敷の一歩手前という感じだが、こんな環境でも普通に生活できるから慣れとは恐ろしいものだ。

 なぜ、こんな状態なのかといえば、シュウカツを始めたからだ。生前、弟からよく言われていた。「兄貴、荷物を片付けとけよ」と。「要るものと要らないものは分けとってもらわな俺達には分からんからな。俺達にはゴミでも兄貴には大事なモノがあるやろ」。
 さすがは我が弟。よく分かっている。せめて私が大事にしているものは処分せずに残してやろうという気持ちが嬉しかった。
 たしかに「終活」をしなければいけない年齢になっている。その自覚はあった。特に独り身。身軽にしておかないと、後始末をする人間に迷惑をかける。よし、分かった。終活をするぞと意気込んだものの、それからでもすでに数年経ってしまった。
 とにかく何をするにも遅い。体重は軽いくせに、尻だけは重い。今日できることは明日まで伸ばすな、などとは生まれてこの方考えたこともない。むしろ、明日でもいいことは今日するな、という考えというか、優柔不断、即断即決をせず、問題を先延ばしにするタイプだから何事につけ遅い。ノロマ、グズの部類と言ってもいいかもしれない。よくこれで執筆活動ができたものだと思うが、関係者には多分に迷惑をかけてきたに違いない。

 私に終活を勧めた弟がまさか先に逝くとは思いもしなかったが、それが現実になると新たな問題が起きてきた。母をどうするか、どうすればいいのか。
 すでに92歳を超えており、いつお迎えが来てもおかしくない年齢。それでも、ある人に言わせれば、いやいや100歳までは生きますよ。うちのお袋もそうだったから、と。いや、そんなに長生きしなくてもいいんだけどなどと、つい不謹慎なことを考えてしまう。
 一説によれば人は100歳まではなんら問題なく生きられるらしい。しかし、長生きするのがいいことなのかどうか。植物人間のようになって生きていても、とは誰しも思う。「長生きしたいとは思わん。でも、お迎えがこないから仕方ない」。母の口癖だ。実際、年齢を考えれば、まだ「丸ボケもせず」と本人が言うように、認知症とはいえ、まだ普通に会話ができるから年の割にはしっかりしている。とすると100歳までというのはあながち間違ってもいないような気がする。

 もし、100歳まででも生きるなら母の側にいてやらねばならない。私が田舎に移り住むにしろ、母を福岡に呼ぶにしろ。まだいまのうちなら1、2か月に一度、長距離運転をしても帰省が可能だが、こちらもそう若くはない。むしろ今後、体力は衰える一方だからいままでのようなわけにはいかなくなる。母もどんどん弱っていくだろうし、そうすると施設から急遽呼び出されることも増えるだろう。しかし、いまの状況では即座に対応が出来ない。そんなことを考えると、いずれ近い内に近くで住む決断を迫られる。その時に母と私のどちらが動くかだ。
 問題は母の年齢である。93歳まで数か月に迫った年齢で長距離移動が耐えられるかどうか。もう一つは生まれてこの方地元を離れたことがない人が見知らぬ土地に移った場合、認知症が急激に進みはしないかという点だ。
 では、私が田舎に移り住むか。5、6年前まで田舎で生活するなんて考えたこともなかったし、田舎の生活は自分に向いてないと思っていた。それがこの数年、案外田舎の生活は肌に合っているかもと思い出していた。中国自動車道ICまで10分余りで行ける実家はどこに移動するのも比較的楽で、私の趣味生活を満足させてもくれる。
 だから、もし母が故郷を離れるのは絶対嫌だというなら、帰省して田舎で自給自足めいた生活をしようと密かに決心もしていた。

 まあ、母と私どちらが移動するにしてもリスク、デメリットがあるが、とりあえずは二正面作戦で望むことにし、福岡でも老人施設を見学し、そのうちの何箇所かには申し込みもしておいた。ただ、待ち人数を聞くと、とても可能性がありそうには思えなかったが。
 その一方で折に触れ、「福岡へ来るか?」と尋ね、母の気持ちを何度も探った。一度ぐらいではその時の気持で返事をすることがあるから、何度もそれとなく尋ね、返事が一度も変らないというか、本人の方から何度か「福岡へ行ってお前と生活したい。同じ家で住むと、お前の仕事の邪魔になるから、福岡の施設に入れてくれればいい。近くに行けば何度も会いに来てくれるだろう」と言うのを聞き、これなら福岡へ連れてきても大丈夫かもしれないという気になっていた。
 母が掛かりつけの医師にもアドバイスを求めたが、環境を変えるリスクはあるが、肉親と距離が近くなるメリットもあり、一概になんとも言えないとのことだったので、福岡へ移住させる方に気持ちが傾いてきた。

 事態が急展開したのは4月下旬。ちょうど岡山で講演する機会があり、その前後1週間ほど帰省していた時に福岡のグループホームから空きが出たので入居できると連絡が入った。
 入居申し込みはしていたものの、その順番は当分来ないだろうと思っていただけに、まさに予期せぬ連絡。急なこと故、対応もなにも考えていなかったが、この機会を逃せばかなり先になるかもと考え、慎重居士の私にしては珍しく即断即決。田舎での入居施設を土曜日に退所し、翌日曜日に母を車に乗せ、福岡へ連れてきた。
 移動は車。92歳の母にとって8時間もの長旅は大変だったと思うが、文句ひとつ言わず乗ってくれていたのには感謝。それというのも今回のために休みを取って福岡から来てくれ、道中ずっと母の隣で話相手をしてくれた彼女のお陰であり、2人にただただ感謝。
 福岡のグループホームは自宅から車で7分程、歩いても30分の距離。近くに呼んだことで取り敢えずは安心。今後なにかと問題が起きるかもしれないが、その時はその時のこと。考えても仕方ないと腹をくくる。

                                               (2)に続く

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