デル株式会社

 


人生100年時代は弱者・高齢者が生きづらい社会(1)
〜デジタル機器に疎い高齢者


栗野的視点(No.784)                   2022年12月5日
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人生100年時代は弱者・高齢者が生きづらい社会
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 人生100年は喜ばしいだろうか。長生きは楽しいだろうか−−。
政府やマスメディアは人生100年時代、としきりに謳うが謳歌すべきほどなのかどうか。
 「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠んだのは一休禅師だが、「長生きをしてみるもんだ」という言葉あれば「長生きはするもんではない」という言葉もある。
 前者は長生きをしたお陰で珍しいものを見聞きしたり、幸せなことを経験できたと喜んでいる時に、後者は長生きをしたばっかりにこんな嫌な経験をしたと後悔した時の言葉だ。

 誰しも望むのは前者の長生きだろう。しかし、そうそううまくいくとは限らない。早い話が「ピンピンコロリ」だ。生きている間は元気で活動し、寝た切りにならずコロリと逝きたい、という願望はあっても、その通りに行くとは限らない。むしろ、その逆のパターンの方が多いだろう。

 自宅死にしてからがそうだ。「畳の上で」というのは現代ではほとんど望めないことで、病院死が圧倒的に多い。かといって病院死が悪いわけではない。むしろ残された者のことを考えると病院死の方が迷惑をかけないとも言える。
 病院以外の場所で亡くなると不審死を疑われるからで、家族であれ関係者は徹底的な取り調べ(?)を受ける。まるで容疑者扱いらしい。これは施設入居でも同じで、そうならないためには生前に看取りをしてくれる掛かり付け医を探しておくことだが、これは家族の仕事か。

デジタル機器に疎い高齢者

 まあ、それはさて置き、高齢者が生きづらい時代に年々なっていると感じる今日この頃だ。
 実は数日前、朝9時少し前に庭で作業をしていると杖の音をコツコツと響かせ、ショッピングカートを引きながら歩いてくるお婆さんが庭の前で立ち止まったので「おはようございます」と声を掛けると「保健センターはここですか」と尋ねられた。目の前の診療所のことだろうと思い「そうですよ」と返事すると「ワクチンを打ちに来たんです」と言う。

 それから10分も経つかどうかぐらいの時間でお婆さんが戻って来たから随分早く終わったのだなと思っていると「閉まっているんですよ。3つ、ドアを回ったんですが、どれも閉まっているんです」と困惑した様子で話しかけてきた。
 その日は日曜日だったから診療所は休み。お婆さんは日にちを勘違いしたのだろう。

 するとバッグを探りながら封書を取り出し「27日と書いてあるでしょ。それで私、来たんですよ。それなのにドアが全部閉まっているんです」。
 たしかに封書には「27日」「コロナワクチン接種」と間違いなく書かれている。会場は「保健センター」。
 ああ、お婆さんが会場を間違えたんだなと思った。だが「保健センター」の名称を私は聞いたことがない。当然、どこにあるのか場所も知らない。
 封書の中を見せてもらうと電話番号が載っていたので電話したが誰も出ない。それはそうだ、その日は日曜日。電話番号の横にも「平日9時から午後5時」と書かれている。

 「そうですね。日にちは今日になっていますね」
 ご老人の勘違いでないことは分かった。次の問題は場所だ。取り敢えずネットで調べながら、お婆さんを安心させるために会話を続けた。
 「どちらから来られたんですか」
 「〇〇の△△」と言われたが「△△」がどの辺りか私にはよく分からない。ただ、同じ市内とはいえ遠方だということだけはなんとなく分かった。
 「ここまではどうして来られたんでうか」
 「バスです」
 「えっ、どこで降りたんですか」
 「▽▽です」
 言われたバス停からここまで1km弱とはいえ足の悪いお婆さんが杖を突き、ショッピングカートを引いて歩いてくるのは大変だったはず。
 「8時半に着いたんです。あちこち探しながら歩いていたんで疲れました」
 それはそうだろう。1時間も周辺を探し歩けば壮健な人間でも疲れる。

 保健センターの場所はネット検索で分かった。車なら10分程度の距離だが、歩いて行くのには若い者でもちょっと遠すぎる。ましてや老人にはとてもじゃないがムリだ。バス路線でもないからバスでも行けない。
 「ちょっと待ってて下さい。私が車で送って行きますから」
 「そんな、あなたお仕事中なのに」
 「いやいや、気にされなくていいです。車でもなければ行けませんから」
 「まあ、ご親切に。ありがとうございます」

 見知らぬ他人の車に乗るわけだから、道中できるだけ不安にならないように話しかけ続けた。お婆さんのお歳は96歳。連れ合いは20数年前に他界し、現在は独り暮らし。娘が神戸にいて随分前から来い来いと言ってくれているらしいが、それに応えず今になってしまったと多少後悔気味な口振り。娘の誘いを断ったのは「自分が悪かった」と何やら事情がありそうだったが、それ以上尋ねることはしなかった。

 会場に着き、受付の人に「どうも事前予約はされてないようですが、〇〇から8時半に来られ、会場を探してウロウロとされていたようです。帰りはタクシーで帰られると言われているので宜しくお願いします」と、その間の事情を話し、後を託して帰った。
                       (2)に続く


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