「卒社の会」「卒社式」のススメ
まあ過激な表現は避け、少し視点を変えてみよう。
なぜ代表権を持ち続けるのか、なぜ会社に居座るのか。
もしかすると本心では、もう代表権を譲りたいと考えているかもしれないし、会社に顔を出さない方がいいかもと考えているかもしれない。
それでも出社し続けるのは習慣だからであり、習慣をやめると寂しいからだ。
明日から只の人になるのが怖い、途方に暮れるから、踏ん切りがつかない。
それなら踏ん切りをつけさせてあげればいいではないか。
ただし追い出すようなやり方ではなく、花道を用意し、皆に贈り出してもらうやり方なら本人も喜ぶのではないか。
学校なら小中高大学と各段階で卒業式が行われ、在学生が卒業生を贈り出してくれる。会社組織では入社式はあっても卒社式はない。
長年、第一線に立ち組織を引っ張って来てくれた人だから、感謝の意を込めた「卒社式」を執り行ってもいいではないか。いや、執り行うべきではないか。
それも社内だけで行うような式ではなく、それまで交流があった社外の人も含めた「卒社の会」を。
ちょっと横道に逸れるが、最近は「家族葬」流行りである。社葬を執り行うところは激減し、代わりに後日「お別れの会」を行う例が増えている。
お別れの会もいいが、これは本人がお別れをする会ではない。故人にお別れをする会で、本来主役であるべき本人は集まった人達の顔ぶれを見ることはできないし、もちろん参加者と言葉を交わすこともできない。
いうなら主役であるべき本人は置き去りにされた会である。こんな会に何人集まっても、当の本人は嬉しくもなんともないだろう。
つい半年余り前、友人の会長の葬儀があり参列してきた。近年、珍しく半社葬形式だったが、参列者で埋まったのは式場の半分。これならいっそ家族葬形式にし、親しい人達を呼んだ方がよほどよかったのではないかと思い寂しくなった。故人は賑やかなことが好きだっただけに。
そこで提唱したいのが「卒社の会」である。
問題はそれをいつ実行するかだが、80歳前後ともなれば参加者も減るだろう。それよりはまだ若々しい70歳前か、せいぜい75歳までに行うのがいい。
いうなら「お別れの会」を生前に行うのだ。
個人的な話だが私は60代半ばの時「生前葬」を行ってくれと頼んだことがある。その頃なら楽しく賑やかな会になると考えたし、実際そういう風にしてもらいたかった。
こういう時必要なのは「面白いね、やりましょう」というノリだ。
ところが「生前葬」という名前がよくなかったのか拒否された。
「いや、それはイメージで会の名前は何でもいいが生前葬と言えば単にパーティというより参加者が増えるだろう。しばらく無沙汰になっている友人、知人もいるが、生前葬なら面白そうだから行ってみようかと思うだろう」
70歳になった頃、それならやりましょうか、と言われたが、花にも人間にも旬がある。
やるなら旬の時だ。旬を過ぎると参加者は減るし、参加者の年齢も上がる。それでは面白くない。やるなら100人は集まるようなパーティーでなければ、ということで時期遅しと断った。
話を戻そう。権腐10年。せめて会長でいる間に「卒社の会」を行い、それをけじめに会社に顔を出すのはせいぜい週の半分までにしてはどうか。
「生きがいが」「やりがいが」というなら、それは会社以外の場所に見つければいいではないか。
「葬儀は密葬か家族葬でいい。それより卒社の会を行って欲しい! これが俺の卒社式だ」
後継者へ最後の指示として言ってみてはどうだろうか。
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