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人の出会いは「多生の縁」か、「多少」の縁程度か(2)


 不思議な縁と言ってすぐ思い出す人物がもう一人いる。元フィルムジャーナリスト(本人の弁、敢えて「フィルム」と付けたのはペンと区別する意味のほかに、持ち運びも編集も簡単になったビデオと区別する意味もあったかもしれない)でベトナム戦争に従軍し、最前線で取材をした経験を持つM・S氏のことだ。
 もう亡くなられて10年余りになるが、出会ったのはそれからさらに5年ほど遡る。出会ったとは言ったが、実際に会ったことは一度もない。会ったのは彼の伴侶のS・S女史。彼女は当時、様々なプロデュースを手がけていたようで、その関係で来福した時に誰かの紹介で会ったのではなかったかと思う。

 ところが、その後M・S氏からメールが届き、以来、彼が亡くなる前までメールのみの付き合いが続いた。
 年齢は私より10年程上。アメリカの3大放送局の1つ、NBCの特派員としてベトナム戦争の最前線で丸2年間フィルムを回し続けていた。
 フィルムとペンという違いはあるものの同じ職業の人間として私に興味を持ったらしく、自己紹介メールが届いたのが彼との付き合いの始まりだった。最初は私への自己紹介メールとして書き出したメールは3回目ぐらいから個人宛ての自己紹介ではなく、彼のネットワークの仲間にも配信しようと考えたようで、メルマガという形の配信に変わっていった。
 メルマガのタイトルは「生きる力の記録」。彼は当時すでに肝臓を患っており、タイトルにはそういうことも含まれていたように感じた。

 銃弾が行き交う最前線でフィルムを回し続けた彼の体験記を読みながら、私などは足下にも及ばないと感じたものだが、印象に残っているのは前線にいた2年間、「最初は弾が自分を避けて行っていたが、段々自分を目がけて飛んで来だした」という言葉だった。ギリギリの所にいると感覚が研ぎ澄まされてきて、「銃弾の意志が分かる」と言っていた。
 こうした獣のような感覚をかつては人間も有していたに違いない。それがモノに囲まれ、モノに頼る生活を続けるうちに失っていったのだ。

 私の方にはそんな壮絶な体験もなく、自己紹介と言ってもせいぜい1回のメールで終わるぐらいの内容しかなく、あとはメルマガの「栗野的通信」を彼にも配信するぐらいだったが、彼のメルマガはとても知的かつ刺激的で、大いに刺激を受けたものだ。
 それにしても人との出会いは不思議なものだ。一度も会ったことがなくても知己の間柄にもなるし、長年付き合っていてもただ見知っているだけという関係もあるが、私の持論は3度目が決める。
 最初の出会いは偶然も影響する。2度目は利が絡むことがある。偶然か必然かは3度目で決まる。3度目は会おう、会いたいという意志が働くからである。これがなければ2度の出会いも偶然のままで終わるだろう。
 袖振り合うも他生の縁−−そう思える出会いにしたいものだ。




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