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 栗野流コンサートの楽しい「見方」

 芸術の秋だからというわけでもないが、つい最近、クラシックコンサートに行ってきたので、今回はちょっと趣向を変えてコンサートの見方の話を。
 私は音楽にうるさいわけでも、クラシックファンでもなく、むしろその逆で、かしこまって聴かなければいけないクラシックなどは大嫌いである。
なのにトリオミンストレルの演奏には過去3回も行っている。
 なにが楽しくて、と自分でも思ってしまうが、これが見ていて(聴いていてではなく)結構楽しい。
 だからコンサートの楽しい聴き方ではなく、コンサートの「見方」。それも栗野流の。

 堅苦しいイメージのクラシック演奏会も聴きに行くのではなく、「見に行く」と結構楽しめるものである。
福岡市民オーケストラの演奏会にも何度か行ったが、指揮者と楽団員の様子などを見ていると面白い。
 指揮者にもそれぞれ個性があり、小林研一郎氏などは壇上でよく喋ってくれるので親しみやすいが、概して一流といわれる人は無愛想だ。
 大体、これから演奏する曲目の紹介も、合図もなく、いきなり演奏が始まること自体おかしいと思うのは私だけだろうか。少なくとも、あんなことをやるのはクラシック演奏だけではないかと思うが。
全くサービス精神のかけらも、音楽ファンを増やそうという努力も感じられない。
ちょっと解説をするだけで、ひと言聴衆に話しかけるだけで、皆ファンになり、それが音楽人口を増やすことになると思うのだが、そういうことには無関心なようだ。

 トリオミンストレルは小川剛一郎氏(チェロ)、木野雅之氏(ヴァイオリン)、北住淳氏(ピアノ)の熟年トリオで、福岡公演は今回で9回目である。
曲目はクラシックだが、リラックスして聞けるので、できるだけ会場に足を運ぶようにしている。
 といっても、いままでは「聞いている」という感じだったが、今回はじっくり耳を傾けてみた。
なかなかいい。
感動したので、帰りがけに彼らのCDを2枚買い、ほぼ毎日BGMで流している。
 このトリオの演奏は定評があるし、門外漢の私がコメントするのはよすが、なんといっても私の楽しみは彼らの表情を見ていることだ。
 チェロ奏者の小川さんとバイオリンの木野さんの関係はまるで恋する二人のようで、音を消して舞台を観ているだけでも楽しい。
なかでも小川さんの表情は豊かで、見ていて飽きない。

 恐らく彼はナルシストである。
演奏中に目をつむり、首を振り、時にニヤッとしながら、ひたすら自分の世界に入り込んでいるように見える。
これを見ただけで自分に酔いしれるナルシストに違いないと思ってしまう。
 それだけではない。
演奏中にバイオリンの木野雅之さんの方を何度も見つめ、その度に軽く頷くのだ。
小川さんの熱い視線を受けて、木野さんは小さく控え目に頷き返す。
その様子はまるで恋する2人のようにも見える。

 ところが時々、木野さんが小川さんの「ラブコール」を無視して頷き返さない。
そんな時、小川さんはどうするかというと、何もなかったかのように目をつむり自分の世界に入り込むのだ。
こんな態度が取れるのはやはり自分を最も愛しているナルシストしかない。

 2人の愛の交換に気付いているのか、いないのか、ピアノの北住淳さんは2人の間に割って入るでも、嫉妬するでもなく、冷静に音を拾っていく。
激しく主張するわけではないが、かといって主張しないわけでもない。
その態度が、むしろ主役は俺だよと言っているようにも聞こえる。
 3人の歳がもう少し若ければ、恐らくここまでの演奏はないだろう。
互いに他の2人の音を聞きながら、埋もれるわけでも、激しく主張するでもなく奏でていく・・・。

 アンコールはサービス精神旺盛で4回も応えてくれた。
演奏会後、主催者に誘われ、懇親会に参加したが、そこで見る木野さんは演奏中の態度とは打って変わり、太鼓腹を突き出し豪快に笑い、よく喋る。
おい、おい、さっきまでの恥じらいを秘めた大人しそうな女性はどこに行ったんだ、と言いたかった。

 酔ったついでに上記の「恋愛関係」のことを3人にそれぞれ話すと
「私は女ですか。ハッハッハッハッ」
 と木野さんに笑い飛ばされた。
 酔うと楽しい人だ。
それにしてもあんな繊細な音をこの人が弾くのかと思うと、面白かった。
 さて、皆さんはどんな楽しみ方をしますか。

 演奏終了後の懇親会でチェロ奏者と一緒に。
 左が小川剛一郎さん




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