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クレーム客をファンに変えた旅館


 昨秋のある日、温泉好きの友人は夫婦で熱海に行き、早速温泉に浸かり、おいしい料理に舌鼓を打つはずだった。
ところが、出てきた料理がなんとも口に合わない。
味にうるさいだけに、納得しかねたのだろう。
とうとう仲居さんに言い、料理長を呼び付け文句を言った。
「ようこんな料理が出せるな。関西の人間は口が肥えているんや。こんな料理を関西人に出しとったら笑われるで」と。
 料理長は「お口に合わなかったようで、まことに申し訳ありませんでした」と素直に謝った。

 この種のクレームを付けるのは大体酔客か団体客と相場が決まっているが、友人のように夫婦二人連れというのは大概珍しい。
といって彼らはクレーマーでもなく、普段はごく普通の小市民である。
ただ、関西の味に対するこだわりがちょっと強かっただけだ。

 実はこの話を後日友人から聞かされた時、織田信長が上洛した時の逸話を思い出した。
 信長が天下統一を目指して京に上り、噂に聞く京料理を食べたいと思ったのだろう。一流の料理人を呼び料理を作らせたが、これが薄味過ぎて信長の口に合わなかった。
激怒した信長は料理人を罵倒した。
「なんだ、この料理は!」と。
尾張弁だと「なんだぎゃあ、この料理は」と言うのかどうか定かではないが、方言丸出しでそのような言葉を口にして怒った。
料理人は平伏しながらも、下がり際に鼻の先でふんと笑ったそうだ。
「尾張の田舎者が、料理の味も分からないのか」と。

 都は天子を始めとした公家社会。味は薄味である。
一方、信長は戦に明け暮れる地方の田舎侍。体が塩分を必要としているから、口にするものは全て濃い味だ。
 その信長が薄味の京料理を口にしたものだから、味も付けずに出し、バカにされたと思ったのだろう。
 要は地方によって味は違うという、文化の違いを理解できなかったがために起きたクレームである。

 今回のクレームもこれによく似ている。
ところが問題は翌朝の女将の対応である。
翌朝、売店で土産物を物色していると、その姿を目敏く見つけ、女将が足早に寄ってきた。
「昨夜は大変失礼いたしました。料理がお口に合わなかったようで、申し訳ありませんでした。これはお詫びの印です。どうぞお持ち帰り下さい」
 差し出された紙袋の中には売店で売っている石鹸等の小物がいくつか入っていた。

 「中身はどうでもいいんや。要は女将の態度。普通ならクレームを付けられたら、嫌な客だなと思い避けたくなる。それを走ってきて挨拶をし、お詫びにと土産を持たせよった。こういう女将がいるところは流行る」
 それで友人はすっかりその旅館のファンになったという。

 「クレームをチャンスに変える」とか「クレームこそ宝」「ピンチをチャンスに」などとよくいわれるが、現実にそうすることはなかなか難しい。
分かっていることと、出来ることは違うからだ。
 だが、この旅館の女将(年の頃は40代半ばくらいだったらしいが)は確実に1人をファンに変えたのは間違いないようだ。
たった1人と思うか、それとも1人の後ろに100人の客がいると思うのか。
ファンにするのはたった1人かもしれないが、その1人を失うことで100人の客を失っている。
 これは1人の客が100人に悪口を言うということではない。たまたま顕在化したのが1人だったというだけに過ぎない。実はいままで顕在化しなかった客が100人もいたのに、問題点に気付いかず見過ごしてきたということだ。
そうならないようにしたいものだ。




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