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リーダーの育成システムが必要(2)


リーダーの育成システムが必要

 ベテランとリーダーは別である。ところが日本ではこの2つを混同して考える「文化」がある。スポーツの世界では特にそうだ。「名選手必ずしも名監督ならず」とはよく言われるが、この言葉は日本のスポーツ界では常に無視されてきた。指導方法も指導力もない人が、現役時代に有名選手だったというだけで、引退後に監督やコーチ、親方になる。中にはコーチも経験せず、現役引退後いきなり監督になる人もいる。当然、リーダーシップ教育などは受けてない。だから、勢い自分の過去の経験に頼ることになる。
「俺の時は体で教えられた」「気合が入ってない」「精神が弛んでいるから怪我をする」等々。
 スポーツ理論の代わりに精神論が唱えられ、精神を高揚させるため「愛のムチ」とう名の鉄拳、竹刀に頼ることになる。その結果、一時的にでも勝てば、指導方法がよかったと思い込み、その方法を続けることになる。
 元々理論など持ち合わせていないから、選手との相性で効果が出たり出なかったりする。相性が悪く、「指導」の効果が現れないと、「練習不足」「鍛え方が足りない」と、「体で覚えさせる」方法をさらに強める。シゴキである。

 相撲界は長年この方法で指導してきたが、最近になってやっとメスが入れられた。当時から相撲界だけではないだろうと見られていたが、スポーツ関係の動きは遅かった。というか、自殺者が出たり、ナショナルチームの中で体罰が行われていると訴えられて始めて重い腰を徐々に上げざるを得なくなってきたのが実情。
 それでもまだ体罰を肯定したり、監督や顧問、親方と言われる人達(彼らは決して指導者ではない)を擁護する意見が関係者の間にある。「監督(顧問、親方)のお陰で勝てた」「体罰と思ったことはない」等々。
 実際、先の柔道女子日本代表の監督自身が、自分もそのようにやられてきたが、それを「体罰と感じたことはなかった」と言っている。

 問題はここにある。幼少の頃に親から虐待を受けて育った子供は自分が親になった時に同じことを繰り返す傾向があるのはよく知られている。子供への虐待を繰り返す母親も最初の頃は後悔し、もう二度と暴力を振るいたくないと思うようだが、それが繰り返される内に殴るのが当たり前、殴った時はスッとした気持ちになるとまで証言している。結局、他の方法を知らないが故に取る行動なのだ。
 全日本柔道で行われた体罰も、大阪市立高校野球部の場合もそうだが、体罰、シゴキは特定の相手に集中する可能性がある。見せしめだ。
 これは私自身の経験でもあるが、サラリーマン時代に部下から「俺が叱りやすいからでしょ」と言われて気付いたことがあった。期待している人間、見込みがある人間にはつい要求しがちになり、それが本人にすれば、なぜ自分ばかり、と感じてしまうのだ。それでもこちらに余裕がある場合はフォローができるが、余裕がないとフォローすることさえ面倒になり、結局そのままにしてしまう。まさに最悪のパターンである。
 全日本柔道監督の気持ちはよく分かる。ただ、こうしたことは個人の問題ではないし、個人の資質の問題に矮小化してしまってはいつまでたっても解決できないだろう。リーダーの育成システムがないことこそが問題なのである。

現場任せのOJTでは役に立たない

 リーダー育成システムがないのはなにもスポーツ界に限ったことではなく、ビジネスの世界でも同じだ。
 特に中小は入社直後こそ数日の新人教育を行うものの、その後は現場で具体的な仕事をしながら覚えていくOJT教育(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)に任せている。まさに現場に「任せている」わけで、組織としてきちんとした教育システムがあるわけではない。極論すれば、見よう見真似で覚えろというわけで、これなら「仕事は教え(られるものでは)ない、盗むものだ」式のやり方(実際、私などは社会人に成り立ての頃、社長からそう「教え込まれた」)とそう大差はない。

 OJTは新人の訓練教育だから、まあいいとしても、問題はその後の中堅教育システムだ。ところが、近年、企業に余裕がなくなっているからか、中小から大手企業まで社員育成には一頃ほどの熱心さが失せているように見える。
 かつては年功序列制度で少しずつ経験を積み役職が上がっていったから、その役職に相応しいリーダーシップを身に付けていけた。ところが、現在では多くの企業で年功序列制が崩れ、代わりに成果主義が導入、あるいは両者の併用に変わり、年齢や在籍年数に関係なく「リーダー」が選ばれるようになった。
 だからリーダーシップを身に着ける間がない。その上、メンバーに在籍年数も年齢も自分より上の社員がいたり、社会常識も我慢することも知らない新入社員がいたりする。前者には遠慮しがちになるし、後者は仕事上のことを少し注意しただけで仕事放棄、職場放棄をする。
 以前なら、同期と酒でも飲んで悩みを相談したり、互いに情報交換もできたが、年功序列が崩れてからは同期の地位もバラバラで悩みの共有ができない。結局、悩みを一人で抱え込むことになり、うつ病等にかかる中堅社員が近年増えているという。

 たしかに我々を取り巻く環境は以前とは比べるべくもないくらい複雑化、スピード化し、ストレス要因が増えているのは事実だ。にもかかわらず組織の有り様は変わっていない。名称を部課制からカナカナに変えても、日本の組織の本質は半世紀以上前となんら変化ない。横一列に並んで突撃をする旧態依然とした戦い方のままだ。この形態は波に乗って進んでいる時は強いが、変化に弱い。ましてや退却時には総崩れになる。
 しかも武器を持たせずに、突撃を命じているのだから、運がいい奴だけが生き延び、残りはことごとく討ち死にする。

 もういい加減に成績とリーダーシップとは関係ないと気付くべきだ。そして、スポーツでもビジネスの世界でも、ある程度体系だった形でリーダーシップ論を教育し、リーダーを育成すべきだろう。でなければ世界で勝つことはできない。

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