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プロに聞くシリーズ(3):なぜ裁判員制度なのか(後)


当初目指したのは陪審制、それがいつの間にか

 −−では、なぜ当初目指した陪審員制度が裁判員制度に変わっていったのですか。
 萬年 陪審員制度導入の目的は何かというと、一つは人質司法と調書裁判を打破するという大義名分があった。萬年浩雄弁護士
 もう一つは民主化で唯一残された領域が司法だったわけです。国民参加という部分では司法は全くなされてなかった。強いて言えば検察審査会しかなかった。だから国民が司法に参加するというのは陪審員しかないだろうという感じだったんです。
 陪審員で誤判を防ぐとか、冤罪を防ぐなんてのは冗談じゃない。むしろ職業裁判官に比べて誤判は多いんだから。アメリカの実例を見れば明らかでしょう。だから、平野先生なんかは司法の民主化という大義名分しかないだろうといっていたんです。

 −−裁判員制度そのものの問題も色々いわれていますね。
 萬年 国民は資格ある裁判官でしか裁きを受けないと裁判官の独立を保証している。だから裁判員制度は憲法違反だという法律家も結構いるんですよ。法律家の資格を持ってない市民が裁くのは違反だし、ましてや市民と裁判官が裁判員制度では対等の扱いになるんだから、それはおかしいという法律家は結構います。
 だけど、ぼくは先に言ったように現行裁判には色々問題があるから一歩踏み込むという意味で消極的賛成なんです。本当は陪審制がいいんだけど。
 なぜ消極的賛成かというとね、いまマスコミ、最高裁、検察庁がいっているのは裁判員の負担を軽くすることばかりでしょう。軽くするためには争点整理、証拠の選択をきちっとしとかないかん。それをずっとやっていたら刑事裁判は儀式になってしまう。被告の立場からすれば、一体誰の裁判なんだということになるわけ。

 −−事前の争点整理などの動きはすでに始まっていると思いますが、これは裁判の長期化を防ぐという利点もあるが、逆に裁判を簡素化、儀式化してしまうマイナス面もあるということですね。
 ところで、もう一度お聞きしますが、当初目指した陪審員制度が、なぜ裁判員制度に変わったのですか。
 萬年 それが七不思議の一つ。我々法律家でさえ、なんで? 誰が決めんだ、って。結局、日弁連(日本弁護士連合会)が妥協したんです。いまの問題状況があるから職業裁判官制度を打破しなければいかん。我々の本当の願いは陪審制だけど、裁判官と市民が一緒に裁く参審制度に近いし、ただ裁判員が量刑まで決めるのは日本独特の制度だけど、まあいいかと妥協したんです。

裁判員制度で死刑判決は増えるか減るか

 −−最近の判例を見ていると世論や社会感情に左右されている側面があるように思えます。例えば死刑判決に慎重だったのが、最近は1人殺人でも死刑判決が出ていますね。職業裁判官でさえ社会感情に左右される時代だから、法律知識もない一般市民の場合はもっとマスコミ報道などの社会感情に左右され、死刑判決が増えるのではと危惧しますが。
 萬年 当番弁護士制度を作った時、マスコミと市民から「お前ら犯罪者ばかり擁護して被害者の立場はどう考えているんだ、人権はどこへ行ったんだ」という批判が相当あったんです。ぼくはそれはそうだなあと思ったけど、政策価値判断としてまずはこれをやろうと。それで立法化が射程距離に入ったので、もうベテランに任せてぼくは宿題の犯罪被害者の問題に取り組み、大分運動して立法化に漕ぎ着けた。
 その時に我々は大いに議論したんですよ。普通の人が裁く時に死刑判決を書けるか、と。ぼくは基本的には死刑判決は減るのではないかと思っています。

 −−事件ごとにかなりブレるのではないかという気がしますが。
 萬年 裁判員制度について7割ぐらいが批判的という調査結果があるが、基本的に日本人は真面目だから人を裁きたくないんですよ。
 10数年前、陪審員制度を導入しようとした時に福岡弁護士会で模擬裁判をやった。その時の様子を見ていると、真面目に議論して社会経験から出た自分の頭で意見を言っていた。中には頑固なお年寄りもいたが、一般的には日本国民は真面目で優秀だと思った。
 日本国民は自分の意見で死刑という結論を出せるかというと、ぼくは懐疑的なんです。感情論に走って死刑判決がバンバン出るんじゃないかという意見が多いようだけど、ぼくは日本国民は優秀で真面目だと思いますよ。

 −−私は現在の日本の状況、特に若者に顕著に見られますが、議論を深めたがらない、簡単に白黒を付けたがる、誰かの扇動にすぐ乗る、という傾向を考えると、死刑判決が増えるのではと危惧しています。
 萬年 たしかに自分の頭で考えない人が増えた。マニュアル人間ばかりで、自分の頭で考え、自分の言葉で喋れない人が、どの世界でも増えたのは間違いない。それはぼくも同感だ。そういう状況だから裁判員制度で死刑判決が増えるんではないかというのは一つの思想的流れとしてあり得ると思う。

格差社会はこんなところにも

 −−ところで最近、保釈金額が非常に高くなっていると思いますが。
 萬年 以前に比べて保釈をどんどん認める傾向にはある。ただ、その代わりに保釈金額が高くなっているのは事実。
 −−人質司法の打破といいつつも、現実には経済格差による保釈の有無が今後ますます出てきそうですね。貧乏人は結局保釈すら認められない・・・。
 萬年 通常なら200万円ですよ。保釈金制度から言えば貧富の差。これはどうかと思う。

 −−いまの司法を取り巻く環境は制度の問題もありますが、司法に関わる人達のレベルとモラルの問題もありそうですね。
 萬年 レベル、モラルともに下がっているね。だから、そこでぼくは司法改革に反対なんだ。合格者を3000人にしたら食えない弁護士がどんどん増えてくる。食えない弁護士はどうするかというと悪徳弁護士になる。迷惑するのは市民。弁護士自体の社会的評価と実力が相対的に下がってくる。司法修習生の半分ぐらいが現に就職できないんだもの。
 −−裁判員制度が一連の司法改革の中で出てきたものだということは分かりましたが、まだ問題は色々ありそうですね。いずれにしろ今後は誰もがある日突然裁判員になるわけですから、我々国民ももう少し勉強しなければいけませんね。
                                  (聞き手・ジャーナリスト 栗野 良)


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