撤退する勇気が必要


プレーしない勇気が必要

 2013年1月、クルム伊達公子が全豪テニスで3回戦まで進出した。42歳で3回戦まで進出したのは1968年のオープン化(プロ解禁)以降では大会女子最年長記録らしい。
 「グランドスラムで勝てたというのは、大きな1勝であることに間違いない。でも、それよりも怪我がなく体の調子が良く、テニスもいい状態でグランドスラムに入れた」とクルム伊達は言う。
 怪我に泣くスポーツ選手は多い。横綱候補と目されながら、怪我に泣き大関、あるいはその手前で引退した相撲取りは多いし、今場所の把瑠都もそうだろう。
 怪我をしないのが一番だが、スポーツをしている限り怪我を完全に防ぐことは難しい。では、どうすればいいのか。「できるだけ小さい怪我の状態に留めておいて、大きな怪我にならないようにすることが大事」で、「プレーしない勇気」こそが必要だと、クルム伊達は語っている。
 この言葉は非常に暗示的であり、また大いに考えさせられる。「怪我」をリスク、アクシデント、クレームという言葉に置き換えれば、あらゆる所で当てはまるからだ。

 では、「プレーしない勇気」とは何か。それは引き返す勇気だろう。ところが、これがなかなか難しい。引き返す(撤退)=敗北と見做す風潮があるからだ。撤退=敗北ではない。
 しかし、撤退をいつ、どのような形でするかということはとても難しい。
実際の戦闘で全員が一気に撤退を始めれば総崩れになり、壊滅的打撃を受ける。それを防ぐために、撤退計画は極秘で練られ、相手に悟られないように静かに軍を返さなければならない。
 そのため、早朝、火を炊き、カマドの煙を幾筋も立ち上らせ、あたかも朝食の準備をしているかのように見せかけ、馬の口を縛り、静々と全軍を引き返した、というような記述は歴史書を紐解けば随所に見られる。その際、最後に撤退する部隊を殿(しんがり)と言ったが、これは大役だった。当然、討ち死に覚悟である。殿の踏ん張りいかんで全軍が無傷で撤退できるか、総崩れになるか決まる。それだけに信頼が置ける最強の部隊が配置された。にわかには詳細を思い出せないが、木下藤吉郎もいずこかの戦の時、織田信長に殿を申し出、「猿に殿が務まるか」と多少訝られながらもことなく務めることが出来、その後、信長軍の中で評価を高めて行ったという事実もある。

 過去の話は歴史の中に戻すとしても、撤退はビジネスに付きものだ。いつ、いかなる形で行うのかは古くて新しいテーマだろう。
 私的(してき)な話で恐縮だが、私がまだ20代後半にやっと差しかかった頃、撤退の難しさを学んだことがあった。当時、私は福岡本社の某社に身を置いていたが、ある県から撤退することにした。それを進言したのは私だったのだが。
「お前のレポートは読んだ。分かった。お前が撤退した方がいいと判断するなら、撤退していい。しかし一度撤退したら、次に進出するのは難しいぞ。その手を考えているか」
 電話で社長からそう問われ、当時の私は絶句するしかなかった。要は取り巻く環境の変化により撤退はやむを得ない。しかし、尻に帆をかけたような形で撤退すれば、状況が変わった時に再進出しようとしても難しい。先々のことも考えれば、何らかの足掛かりを残して撤退すべきだ、その方法を考えよ、と教えられたのだった。

 もしかすると、いま中国に進出している企業の中にも、こうした現実にぶつかっているところがあるかもしれない。
 余談だが、少し前までは中国進出コンサルタントの需要が多かったが、いまは中国撤退コンサルタントの方に需要があるらしい。それだけ中国市場からの撤退が難しいということでもあろう。
 メリットがあればリスクもあるということを事前にきちんと把握すべきだが、人も企業も前に向かって進んでいる時は前進することしか頭にない。よしんばリスクの話があっても頭に入らないのだろう。

 怖いのは社内外の取り巻きである。中小企業の場合、ほとんど例外なくワンマン体制である。業績を伸ばしている企業ほど、この傾向が強い。勢い、社内の取り巻きはイエスマンになる。それでも外部に諫言する人物がいればいいが、コンサルタントを始めとして寄ってくるのは皆自分のビジネスのためだから、諫言などするはずもない。結局、社内外ともにイエスマンになり、気付いた時には引き返せない状態になっていることが多い。


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