N の 憂 鬱-18
〜我が心は石にあらず(2)〜


 それから10年後、彼の変化をもっと知ることになった。年始めに今年は海外のどこどこに行ってきたと書かれた年賀状が旅行の写真とともに届きだした。
 最初の1、2回はマチュピチュ遺跡を見に行ってきたのか、昨年はトルコのカッパドキアかと、彼のリフレッシュ休暇の様子を楽しんでいたが、これが毎年続きだすと、さすがに「またか」と、少々食傷気味になる。

 そんなある時、広島の友人から電話があった。学生時代に仲がよい3人で、築山とNは身長がほぼ同じだった。さすがに入学時とは違い学生服姿は減ったが、それでもまだ学内で学生服を着ている学生もいた中で、築山とNはジャケット姿だったから、田舎の大学ではちょっぴり目立っていたのかもしれない。
「お前らはキザやな」
 史学の先輩からそう笑われたのをきっかけに開き直り「全キ連」を3人で名乗った。まだ学内に紛争の予兆もない頃である。
 電話の主はその時の一人だった。
「築山を知ってるだろう。あいつ毎年、海外旅行をしているみたいだな」
 話の中で共通の友人、築山のことに触れた。
「そうなんだ。それはいいけど同窓会でも海外に行った自分の自慢話ばかりするから参っている。中には定年退職した後、ガードマンをしている人間もいるというのに、あいつは自分の自慢話ばかりだ。だから最近は同窓会に行っても面白くないし、彼とは話さないようにしている」

 同じような話は後輩からの電話でも聞いた。
「君もそう思うか。あいつ変わったなあ。昔はあんなんじゃなかったけどな。俺は昔のあいつは好きだったけどね」
 後輩は「申し訳ないですけど、築山さんの電話はブロックしているんですわ。年賀状もご辞退してます」と、最近かかってきた電話で言ってのけた。

 「困ったもんだね。一度、本人に直接、言ったことがあるんだけどね。同窓会であまり自分の自慢話ばかりするのはよくないよ、と。誰もが君のように毎年海外旅行に行けるわけではないんだから、と」
「Nさんは直接言えるからいいですよね。ぼくなんかは言えませんから」
「いや、他の友だちからも同じような話を聞いたものだからね。でも、あいつには効果なかった。つい先日、どうしても尋ねたいことがあって電話したら、やっとコロナが解禁されたから国内旅行だけど九州に行ってきたんやで、と言っていた。クイーンエリザベス号に乗って日本半周の旅やけどな、と相変わらずの自慢話や」

 卒業後の人生は「余生」とまで言っていた男の変わりように、金が人を変えたのか、金持ちになると人を思い遣る気持ちがなくなるのかと、なんとも言えない複雑な気持ちに捕らわれた。
 それでも彼らほど築山を嫌う気持ちにはなれなかった。

 世の中には似たような人間は数多いる。相手が総会屋紛いの調査会社と知りつつ付き合う人間もいる。「我が心は石にあらず、転ずべからず」と厳しく身を律し生きた那賀根や高橋和巳のような人間は異質で、多くは転石こそが時代に合わせた生き方と心得ているのだろう。
                                  次回に続く

 


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