N の 憂 鬱-23
〜名前をなくした日々の始まり(7)
留置場から拘置所へ身柄移送(前)


▽留置場から拘置所へ身柄移送

 留置場での生活が1週間を過ぎた。その間面会はないし、学内の動きを含め外部の情報は一切入って来ない。顔を見る相手と言えば同じ警察署の留置場に入れられている者と看守の他は取り調べの刑事だけ。会話ができるのも取り調べの刑事だけだ。

 取り調べ刑事は大柄で柔道をしていたに違いないと思わせるような体格をしていた。歳は親子ほど離れていたが、他の場所で会えば親しく交流できたと思わせるような印象で「君達の行動は理解できる」とか「卒業したら就職も大変だろうから相談に乗るから」など、相手に寄り添うような言葉や態度で接しながら、内部の様子や当時の行動などをそれとなく聞き出そうとする。
 この辺は慣れたもので、うまいなと感じながらも、つい世間話に乗ってしまう。一切喋らない、会話はせず完全黙秘というのが鉄則だが、話し相手は取り調べの刑事ぐらいとなればつい世間話に乗ってしまう。

 逮捕後の勾留期間は原則10日間で、通常ならその段階で勾留が解かれる。ただし、検察官がさらなる勾留が必要と考えれば、さらに10日間の延長が認められる。認められるといっても検察官が勝手に勾留延長できるわけではない。判断するのは裁判官で、検察官の勾留延長請求に「やむを得ない事由」を認めた場合に限り、10日間のさらなる勾留延長を認めるというのが建前だが、検察側の請求が却下されることはそう多くはない。
 それは裁判官が検察サイドに立っているということでは必ずしもないが、日本の刑事司法は「人質司法」と諸外国から批判されるように、長期間の勾留で被疑者を肉体的、精神的に追い詰めるのを目的としていると見られても仕方ない。
 刑が確定されていない未決のまま被疑者を刑務所に拘留するのは発展途上国や独裁政権下でよく見られるが、いわゆる先進国、文明国の中では死刑制度の存続と共に世界の潮流から外れている稀有な存在だ。

 弁護士が接見に来たのは逮捕後1週間目である。その間、弁護士の接見(面会)もなく放置されていたわけだが、それは弁護士の責任でも救援対策本部(救対)の怠慢でもない。弁護士はいくつも依頼を抱えていたし、救対も1人か2人、多くても3人という少人数だから手が回らないというのが実情。
 それでも外部にサポート窓口があることは逮捕・勾留された時に多少なりとも心強い。

 問題は弁護士だ。当初、地元の弁護士会に打診しても誰一人引き受けてくれるものはいなかった。カネにならず時間ばかりとられる学生の弁護活動を進んで引き受ける程お人好しな弁護士はいないというわけだ。
 といっても彼らを一概に非難することもできない。大都市と違って地方都市には弁護士そのものが極めて少ない。しかも大抵が歳を取っており考え方が保守的ときている。
 普段彼らが相手にしている被疑者は窃盗、傷害、殺人等の刑事犯で政治的な意味合いを含む裁判の経験はほぼ皆無と言ってよく、学生達の運動に理解を示すどころか、むしろ批判的であり、国家に盾突く「暴力学生」の弁護など引き受けたくないと考えていた。

 地元で見つからなければ範囲を広げて探すしかない。だが、九州は九大闘争で若手弁護士は手が一杯だし、中国地方は広大が中核派の拠点でもあり、ここも四国までは手が回らないと断られた。
 ホトホト困り頭を抱えていると、東京の弁護士から山口県柳井市に高畠という若手弁護士がいる。彼も山口大その他の学生弁護を引き受けており忙しいと思うが、一度頼んでみたらどうか、と教えられた。
 それを聞き、藁にもすがる思いで連絡したが、返事は案の定「今、手一杯で」と断られた。それでも門前払いではなく、会うだけは会って話を聞いてもいいと言ってくれたので、一縷の望みを抱き会いに行くことにした。
                             (2)に続く
 


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