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Kurino's Novel 2026年3月2日
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Nの憂鬱/執筆動機と過去のあらすじ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「Nの憂鬱」を書き始めたのは4年半余り前の2021年10月。最新号のNo28を配信してから10か月中断していたが、再び筆を執ろうとしている。
ただ前号から間が開き過ぎたので、No29を書き始める前に今までの流れをあらすじで振り返るとともに、タイトルに込めた理由、書き始めた動機ともいえるものについても簡単に記しておきたい。
この10年近く、日本だけに限らず世界の歴史は明らかに逆回転し始めた。王国や独裁国家、強権政治が台頭し、代わりに民主主義が後退あるいは蔑ろ(ないがしろ)にされているだけでなく、強権的なリーダーを求める風潮さえあり、まるで日本が戦争に突き進んで行く前夜、世界的には第2次大戦が起きる前のような様相を呈している。
そんな時代に60年代の出来事を振り返るのは決して無駄ではないだろう。あの時代に若者は何を考え、どう行動したのか。
それをNという一人の人間の行動を通して見ていく。
当時の社会、大学の自治をめぐる管理者と学生の闘い、そしてベトナム戦争反対闘争、学生寮費の値上げ反対、授業料値上げ反対、大学立法反対闘争から学内外デモ、校舎のバリケード封鎖へと突き進んで行った全共闘運動になぜ彼らは参加していったのか。
10.21反戦デーではデモ隊と機動隊が激しくぶつかり、まさに「革命前夜」の様相さえ呈したが、その後セクト間の激しい対立、特に中核派と革マル派は血で血を洗うような激しい対立が起こっていたが、Nがいた四国の地方大学ではセクト間の対立どころか互いに手を携えて共に闘うなど首都圏の大学のような内ゲバは一切なかった。
Nはブント(共産同)から分派した社学同ML派の旗を四国で掲げ、10.21反戦デーに仲間を引き連れ大阪・御堂筋デモに参加したが、全員逮捕されることなく大学に戻ったのも束の間、11月佐藤(首相)訪米阻止闘争で中核派の威勢のいい1回生が法文館バリケード占拠を全共闘会議で唱える。
だが多数の意見は、この時期に校舎バリケード占拠の意味がないと反対。
すると自分たち中核派だけでも実行すると息巻くものだからブントの5回生が「見捨てるわけにはいかないだろう。せめてバリケード構築だけは手伝ってやろうじゃないか」と折衷案を出し、他セクトや全共闘は「仕方ないな」と日が暮れるのを待って法文館のバリケード封鎖に取り掛かったのはいいが、体育会系の学内右翼と結託した共産党系組織・民青がいち早く駆け付け、バリケード構築中に逆封鎖され閉じ込められてしまった。
逆に勢いに乗ったのはバリ封鎖反対派の民青系学生で、体育会系右翼学生とともにゲバ棒を持って攻めてきたため、バリケードを挟んで激しくやり合う武闘になったものの、遠巻きに見ていた一般学生もバリ封鎖解除に手を貸し出したため多勢に無勢で次第に屋上へと追い詰められていった。
そこで待っていたのは向かいの校舎から照らされるサーチライトの矢のような光と消防ホースからの放水で、まともに受ければ体ごと吹っ飛んでしまう。
屋上にいた全員は全身びしょ濡れになり歯の根も合わないほど震えながら、それでも屋上に攻め上がって来ようとする民青をなんとか食い止めていた。
その頃、学長たちは機動隊に出動を要請。それまでも機動隊に出動を要請したことはあったが、逆に県警本部から断られたりしていた。
しかし、この時は「要請を受けたから」という理由で速やかに出動。機動隊が学内にまで入ったのはこの時が初めてだった。
かくしてNたちは逮捕され、警察署の留置場、拘置所での勾留生活が始まった。
(2)に続く
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