AIは人を超えた存在になるか、なれるか(2)
格段に進化したチャットGPT


格段に進化したチャットGPT

 話を少し元に戻そう。
知識量が増えただけでは「知の巨人」ではないのはなぜか。
それは個別の知識(データ)量が増えただけで、知識と知識を結び付け次の展開に移る(質への転換)ことがなければただ単に個別の知識のひけらかしで終わってしまう。
 落語で語られる「物知りの隠居」がこれで、その程度は今のAI、例えば「アレクサ」で充分用を足す。

 アレクサはAmazonが開発したAI音声認識アシスタントの名称で、「アレクサ」と最初に呼び掛けた後「電気を消して」とか「おはよう」「帰りました」などと話しかけると照明を消してくれたり「おはようございます。今日の気温は〇℃です」「今日は節分で、この日に△△の方向に向かって太巻きずしを食べると・・」などと返事をしてくれる。
 アレクサでも「AI」と称しているが、これは前もって入力されたデータを引き出して応えているだけで、想定外の(事前データにない)言い方で話しかけられると「分かりません」と返事をしたり、黙り込んで応答しない。
 例えば「帰りました」ではなく「ただいま」と話しかけると反応しなかったりする。
 だが「分かりません」と返事した後に「申し訳ありません」という言葉を付け加えたりするのは今や人以上の対応といえるし、この程度の「会話」でも癒される人は案外多いのではないだろうか。
 まあ自動販売機でもこの程度の返事をする時代で、逆に言えば人間の応対が劣化しているということだが。

 チャットGPTになるとさらに進んできて、ちょっとした文書などは社員が書くより上手に、短時間で作ってくれる。文書どころではなく曲も小説も、中には論文でさえ書いてくれる。
 こうなると何が本物か見分けが付きにくくなる、というか「本物」の定義を変えなければいけなくなる。

AIが贋作づくりをする

 数年前、ドイツの「天才」贋作師(ウォルフガング・ベルトラッキ)が有名になったが、彼の場合は画家が描いた絵の模写ではなく画家のスタイル(筆使い、絵具の種類など)の特徴を完全に模写というより、画家を研究し尽くし、画家に成り切って描くことで、鑑定士や美術館員の目さえ欺き、彼が描いた絵を画家本人の「真作」と思わせてきた。
 ここまで画才があれば、贋作師ではなく画家として生きられた(現在は贋作つくりを辞め自らの名前で絵を描いて生きている)と思うが、カネだけではない何かがあったのだろう。

 真作とは何か、贋作とは何か−−。
この区別はある意味難しい。
 もし真作とは作家本人が書いた(描いた)ものと定義するなら、レンブラントやダ・ヴィンチ、ルーベンスの絵はどう評価されるべきものなのか。彼らはいずれも工房に多くの弟子や職人を抱え、弟子たちとの共同作業や分業制で作品を作っているからすべて画家本人が描いたものではない。それ故、厳密な意味で画家本人が描いた「真作」といっていいのかどうか。

 これが小説等の文筆作品になるとさらにややこしくなる。
多作で知られた評論家の竹村健一氏の大半の著作は彼の事務所界隈にいた人間が書いていると言われていたし、作家の志茂田景樹氏の小説は口述筆記(録音テープに本人が吹き込み、それを秘書がテープ起こしし清書)である。

 こうなると何をもって真作とするのか、真作と非真作の区別をどうするのか、両者の境界はどこに引くのかという問題が出てくる。
 今まで多少あやふやなままにしておかれた、こうした問題が少し前ならPCの登場で、今はAIの登場によって突き付けられている。

 AIの進化で大学や学会は難しい立場に立たされている。学生が提出したリポートや卒業論文は学生自身が書いたものなのか、チャットGPTを使って書いたものなのかの見分けがつかなくなってきている。
 学生の場合はまだいい(よくはないのだが)が大学院生の博士論文や学会論文だったらどうか。
 チャットGPTを使って書かれた論文で学位を与えたり、学会で認められるとどうなるのか。

 実のところ、まだ少数と言われているがAIを使って書かれた論文が出回っているらしい。
 論文審査は以前にもまして難しくなっている。いままででもデータの改竄が指摘されているぐらいだから、AIを使えばもっと誤魔化しが効くだろうし、そう考え安易に手を出す「研究者」は増えると予想される。
 そして論文の不正を見破るのにAIの力を借りているというから、もはやAIなしでは社会は進まなくなりつつある。

 こうなるとAIが人間の頭脳を上回ることはない、と本当に言えるのかどうか。
すでに文章の作成などでは「並の人間」が書くものよりチャットGPTの方がはるかに優れている。ということはAIが「並の人間」の能力を上回っているということが言えそうだ。

 AI開発で現在行われているのは自立型AI。要はAIが自らをプログラミングしていくということで、それはAIがあたかも意思を持ったように自ら情報を収集していく存在になることを意味している。
 2030年にはそうなるとさえ言われているから、その時「俺様は人間だ」などと威張っていられるだろうか。
                                   (2)に続く


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