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栗野的視点(No.890) 2026年6月9日
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動物界と人間界の境界が曖昧になってきた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ かつては厳然と存在していた境界が様々なところで喪失、あるいは曖昧になり、あちこちで境界を巡る争いが激化している。
「他者への配慮」「異文化の尊重」「法の順守」はすでに死語となり、攻め入った方が勝ちとばかりに力でねじ伏せていく。
国際法などもうないに等しい。第1次世界大戦、第2次世界大戦の反省から国際連盟、国際連合がつくられたが全く機能していない。そして今、世界は第3次世界大戦に突入しているが、この大戦はどのような形で終わりをみるのだろうか。
境界と争いを守る緩衝地帯
境界があいまいになっているのは人間界や国と国だけではない。自然と人間との境界が最近急速に崩れてきている。
その端的な表れが獣類と人間との境界。里山という言葉があるように、かつて里と山は混然とした一体だった。今風に言い換えれば里でも山でもないグレーゾーン、里と山が混然として互いに境界を自分達に所属するエリアだと主張しない緩衝地帯である。
そこには両者の間に暗黙の了解めいたものがあった。とはいえ境界を超えて相手のエリアに勝手に侵入するものも時にいるが、彼らはその代償を払わされた。そう、襲われるという代償で、その代償は仕方がないと互いの領域が見做していた。
もちろん人間界と違って明確な規約文書などは交わしていないし、そんなものは何の役にも立たないと知っている。
双方が交わしているのはいわば「神」との約束で、それは互いに交わすより両者を超越した存在と交わした約束であり、それは「自然界との約束」とか「掟」その他の言葉で語られることが多いが、一段高い権威がある第3者との間で交わされた約束であるが故に互いに緩衝地帯を守りながら互いの領分で生活してきた。
だから互いがいがみ合うような関係にはならなかったし、境界を越えて侵入してきた獣を漁師(マタギ)が撃っても、それは最小限に止められていた。
そして相手の命を尊重し、弔い、その肉を戴くという畏怖の念を込めて接していた。
獣類の方でもこうした関係を知っているから無闇矢鱈にグレーゾーンに侵入したり、相手の領域に入り込み食い物を漁るということはなかった。互いが互いを畏怖しているからだ。
熊の主食はドングリではない?
最近この関係が壊れてきた。
なぜ壊れたのか。
諸説あり、山に熊の食べるものがなくなったから緩衝地帯を超えて人里、住宅地へと出てきた、というのが1つ。
ここ数年、熊の「主食」であるドングリの実が不作で減少したことが原因で、ドングリの代わりに柿を食べに人里近くに侵入してきている、と。
今まで熊の主食はドングリと思われてきたが、つい最近の調査研究で水分を多く含む果実「液果類」だということが分かった。
この調査研究を行い明らかにしたのが兵庫県立大学の研究チームで、同チームは4年間に渡り、兵庫〜京都北部で計288個の熊の糞を収集し、内容物を分析して上記の結果を得た。
この検証が注目されるのは国内で初めて明らかにされた定量的な検証だから。その結果、ドングリの不作と熊の人里出没が従来唱えられていたドングリの不作によるものではないということが分かり、熊による被害防止対策のあり方も変えざるを得ない。
従来の常識、専門家と称する人たちの常識を疑うべきだということでもある。
もう1つは鹿の個体数増加である。
鹿の食害に農家は苦しんできたが、その影響は熊の人里への進出とも関係しているというのだ。
鹿は雑食で何でも食べる。熊も雑食に近い部分があるが、鹿が先に何でも食べてしまうため、熊が食べようにも食物がなく、食物を求めて人里へ進出して食べ物をあさるというのだ。
つまり物事を見る場合、1つの視点からだけではなく別の視点から見ることも求められるということだ。
熊害を引き起こす一因に鹿の個体数増加があるというのは猟師たちの間では結構唱えられており、熊の直接駆除だけでなく鹿の個体数減少政策も同時に行う必要があるという。
たしかに鹿の増加と鹿による食害はあちこちで見聞きする。桜の写真を撮りに行った花見の名所や公園で鹿の大量な糞を目にしたり、鹿と遭遇したことは私自身、何度もある。
では、主因は何か。
どれか1つというよりはこれら複合的な要因によるものと考えるべきだが、もう1つ見捨ててはいけない要因がある。人間の行為に問題があるとする説だ。
(2)に続く
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