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壊れていく日本社会(6)〜基礎学力の低下が生む負の連鎖


基礎学力の低下が生む負の連鎖

 「鶏口となるも牛後となるなかれ」「鯛の尾より鰯の頭」という言葉がある。大きな組織の末端で付いて行くより、小さな組織のトップになれという意味だが、中小企業、ベンチャー企業への就職が意図的に主張された当時、逆に私は大企業への就職を勧めていた。
 理由は大企業の人材育成教育(マナーを含む)で、残念ながら中小企業ではそこまでの余裕がないから、少なくとも最初の3年間ぐらいは大企業で社会常識やマナーを教育された方が後々役立つとの考えからだ。
 だが今、大企業といえどもそこまでの余裕、長期的視点はないから新卒の就職先として勧めはしないが、それでも社会常識、マナーをきっちり教えてくれる企業を勧める考えに変わりはない。

 かつて「でも、しか先生」という言葉があった。「先生にでも」なるか、「先生にしか」なれないという使い方だから、教師を志向するのではなく仕方なく教師という職に就いていた人間が多かったということだろう。
 この言葉が流行ったのはもう50-60年かそれ以上前からだが、以来先生の質は緩やかに下がってきている。公務員志向が高まった時期もあったが、最近は優秀な人間は民間企業の方を選ぶようで先生の成り手も減っている。
 理由は安定性より給与の高さ。それに教員の長時間労働が嫌われている理由とのこと。
 その結果、昔なら採用しなかったレベルでも人数確保のため採用しているのが実情。それは教員だけでなく一般企業でも同じで、中には入社後、ひらがなすらまともに書けない新入社員がいたという考えられない話もある。
 よくそれで大学に入学、卒業できたなと思うが、入試制度の弊害(?)で、暗記力の良さで成績評価されるより論理力、理解力等を含めた総合力で評価しなければ、画一的な人間のみになり多角的・複合的な思考ができず国際社会の中で個人も企業も生き抜いていけないというわけだ。

 これはまさにその通りで団塊の世代などは詰め込み教育でひたすら暗記力勝負の授業・試験で能力を評価されてきた。
 その弊害を取り除こうと導入されたのが一芸入試、AO入試等の自他推薦入試だ。能力評価基準を多角的・複合的にしようとしたのは大いに評価される。
 だが基礎学力を疎かにして一芸(二、三芸でもいいが)に秀でているだけで、基礎学力がない者を入学させると本人も大学も入学後に苦労する・困ることになる。

 この当たり前のことに気付いたのは数年後だが、それでも大学は新入生に高校三年生、あるいは1、2年生の授業を行うことで乗り切ろうとした。
 それは悪いことではない。だが大学1年を高校の復習授業で費やされるのは大学にとってムダな時間といえる。
 本来大学は授業を受けに行くところではなく研究をしに行くところのはずだ。少なくとも私の理解では。
 そこに授業を受けるという受け身の人間が入って来るのだから戸惑うのはもちろん、4年間という時間では足りないと感じるのは当然だ。それでも卒業させ社会に送り出さなければならないのだ。

 そこに教育者の良心(存在すれば)はない。私が大学の教員なら多くの学生を留年させていたと思うが、私学ではそうもいかない。片眼どころか両目を瞑って良心をカネで売り単位を与えているのだろう。

 かくして本来の意味で教師になる資格のない人間が教師になるからセクハラ、イジメ、窃盗などかつては考えられなかった事件を起こす。
                                             (7)に続く
 


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