非東京、脱東京の風
東京一極集中が加速し、バブル経済とそれに続くコスト優先、効率第一主義の時代は何もかもが東京で、東京に倣えで世の中が動いてきた。そういう時代にあっては方言はひた隠し、俳優も歌手もタレントも「東京」の衣を纏い、誰も彼もが「東京人」を装っていた。
東京一極集中の弊害が取り沙汰され、「地方の時代」ということがしきりに言われた時でさえ、東京一極集中は進んで行った。
潮目が変わったのは福島原発事故の前後辺りからではないだろうか。首都圏から地方へ移住する若者や企業を地方へ移す動きが現れ出した。
最初の頃は企業の地方移転と言っても本社機能以外の一部だったが、最近はパソナグループのように総務部を含む本社機能が丸ごと淡路島に移転したような例もある。
これを加速させたのがコロナ禍のリモートワークで、東京にいなければいけない必然性が薄れたことを企業も人も実感したり、違う生き方、選択肢があると気付いただけでなく、それを実践しようとする世代の存在が大きいだろう。
一言で言えば価値観の違いである。それ以前の世代の価値観は経済が大きな要因を占めていた。出世とか収入の多さが幸福に繋がるという考えに捕らわれていたが、若い世代の幸福尺度は違った。違う考え方や尺度、選択肢があると気付き、それを選択することは「負け組」どころか、逆に人生の幸福度が高まると気付き、「時間に追われる」生活ではなく「時間を楽しむ」生活を選び、実践し出した人達が少しずつだが確実に増え出している。
「地方の時代」は多文化社会であり多元化社会。「統一」「中央」「集中」ではなく「分散」「非効率」「違い」「非グローバル」を是とする社会だ。
中央化された社会は1つの価値観しか認めない社会であり、息苦しい(生き苦しい)社会。
有名になっても備中の方言を使い、リュックサックをナップサックと言い続ける藤井風だが、そのスタイルは今後も続くか、それともメジャーになった時は方言を捨て、東京弁を使い、東京スタイルに変わっているのか。
パソナグループは淡路島に東京スタイルを移住する「地方移動」で終わるのか。もう少し時間がたたなければ分からないが、現在見る限りでは「淡路島の東京化」の可能性の方が高そうな感じがする。
そうならないことを願いたいし、藤井風には現在のスタイルを貫いて欲しい。そして第2、第3の藤井風が現れ出した時、風が現象ではなく本物になるんじゃ。
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