増えてきた責任を取らないトップ
こうした一連の動きの中で最近、目に付くのが「責任を取らない」「居座る」人間が増えていること。
かつて戦いにおいて責任を取るのはトップと決められていたし、大将が責任を取らされてもいた。
秀吉の中国攻めでは備中高松城主・清水宗治は城兵等の助命を願い自刃したのは有名な話だが、似たような例は多い。
それに比べ近年はトップが責任を取るのではなく自らの責任逃れを主張する例が多い。
先例になったのが日中戦争・第2次世界大戦敗戦時の大本営参謀達だ。彼らは先頭に立つことはなく、常に隊後の安全圏に身を置き、兵を将棋の駒のように動かし、敗戦後の戦犯裁判では東条英機でさえ無実を主張した。
これが先例になりトップが責任を取らなくてもいいのだという風潮が出てき、責任を取らないトップが出てきた。
さて石破首相である。
彼が自民党総裁・首相に就任して都知事選を含め選挙は負け続きである。
敗戦の責任は常にトップにある。
もし、トップに責任がないと言うなら、部下は疑心暗鬼になり、安心して仕事ができない。
それはいずれ誰かが敗戦の責任を取らざるを得ない、取らせられるからだ。
ところがここにきて「石破辞めるな」の合唱が起きている。
しかもリベラル、野党支持者の間からも起きているから奇妙だ。
退陣を求め、政権交代するのではなく、そのまま居座れと言う。
それは責任を曖昧にさせる動きであり「敵に塩を送る」行為とでも言える。
「石破支持」者の論理(?)は「石破はまともなことを言っている」「今までの中で最も論理的」というようなものがある。
果たしてそうか。
自民党内野党的な立場の時に彼が言っていたことと、首相になってから言っていることが明らかに変わっているが、そこを指摘する声が大きくないのが、まず不思議だ。
また「石破首相にはやりたいことがあるから辞めないんだ」という声もある。
やりたいことがあるって? では、首相就任から10か月も経つというのに、その間何をしていたのか、何か手掛けたのか。
(3)に続く
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