爛熟した文明と民族は滅びる。(2)
〜誤解されてきたダーウィンの「進化論」


誤解されてきたダーウィンの「進化論」

 資本主義体制は対立していた社会主義体制が失敗、敗北したことで、資本主義そのものも輝きを失い、新たな未来を示すどころか逆回転しグローバルという衣を纏ったぐらいで、中身は変わらないどころか後退している。
 ライバルがいなくなると独り勝ちに胡坐をかき切磋琢磨できず、ともに衰退していく。

 これは今に始まったことではなく、過去の歴史からでも明らかなように一時期繁栄した文明が、ある時を境に(といっても数10年から数100年の期間だが)滅びていっている。
 それらの文明の多くは文字を持たなかったか、文字で残さなかったから、後世の人々は過去の文明を未発達か現代より劣っていると見る(見ようとした)傾向があったが、そうした見方は少しずつ訂正されつつある。

 その典型がエジプトのピラミッドで、当時は奴隷労働による人海戦術で建設されたと考えられていたが、発掘が進むにつれ奴隷労働ではなく雇用関係に基づく労働だったことが明らかになってきたし、建設技術はかなり高度で、現代の建設機械を使用してもそれなりの日数を要することが分かっている。

 歴史は一直線に(多少蛇行しながらでも)前に進んできたのではない。それなのになぜ人類は、文明は「進化」してきたと考えられたのか。

 1つには「ダーウィンの進化論」の影響が考えられる。ダーウィンは「生物は環境に適合するように進化していく」と述べたわけでも「環境に適合した生物が生き延びた」と述べたわけでもないし、「evolution」という言葉を彼自身が多用したわけでもない。

 ではダーウィンはどう述べたのか。
「世代を超えて伝わる変化」(descent with modification)という言葉をよく使っている。
 つまり目的を持って、ある方向に進化して行くのではなく、たまたま偶然に変化した、いわば突然変異したように偶然そうなったものが、その個体のみで終わらずに世代を超えて伝わって行ったということである。
 そこには「神の手」も「神の意志」も存在しない。当然、目指すべき方向も。

 しかし「進化」という言葉からは「目指すべき方向」が設定されていて、それに向かって進んで行く、というイメージがある。
 そこから導き出されるのは「後の世代の方が優れている」という考えで、過去は現代より遅れている、原始的な生活をしていたはずだという思い込み、思い違いが生まれる。

 こうした考えから縄文人は、弥生人は、住居も雨露を凌ぐだけの竪穴式や高床式で、食生活も貧しかったと考え、それを象徴するようにことさら貧しく見せる住居が佐賀県・吉野ケ里遺跡でも各地の遺跡でも復元されている。
 だが弥生時代の住居はそんな粗末なものではなかったということが後の研究で明らかになっているが、復元住居が新しく建て替えられることはなかった。
 変更すると「進化論」の考えに背くからで、過去の人間は現代人より知能も技術も未発達でなければならないからだ。
                                 (3)に続く

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