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 総理になり損ねた男達(1)


 運命は時として皮肉な行動に出る−−。
求めて近付けば遠ざかり、その気がない者には向こうから寄ってきて微笑みかける。そして掴んだと思った瞬間にスルリとすり抜けていく。
こんな身勝手で、移り気な運命を掴むのは、恋愛相手を射止めるよりも難しい。

 最近そのことを実感した男が政界に3人いる。
1人は自民党総裁だった河野洋平。
彼が自民党総裁になるまでは、自民党総裁は総理大臣の別名だった。ところが、河野が総裁に就任した頃、自民党は野党の悲哀を嫌というほど味わっており、何が何でも政権への復帰を目論んでいた。そこに羽田政権の総辞職で、政局がにわかに流動的になると、河野は自らの総理就任を断念する代わりに自社さ連立政権を組み、社会党の村山富市党首に総理の座を譲ったのだった。

 その後、参院選で与党が敗北すると、村山は河野に総理の座を譲りたいと申し出たが、小渕派の小渕恵三会長が絶対反対を唱えたため村山の申し出を断らざるを得なかった。結局、次期総裁選への出馬もできず、自民党次期総裁には橋本龍太郎がなり、合わせて総理の座も手中にしたため、河野洋平は歴代自民党総裁の中で唯一、「総理大臣になれなかった総裁」として歴史に名を残すこととなった。不運としかいいようがない。

 2人目は平沼赳夫(多少異論がありそうだが)。郵政選挙で無所属になったが、自民党にとどまっていれば、いまごろは誰かに替わって総理になっていたのではないだろうか。それほど彼は総理に近い男といわれていた。
 その後、郵政選挙で自民党公認を得られず無所属で当選した多くの議員が、前言を翻す形で誓約書を提出し自民党に復党した時も、ただ一人誓約書の提出を拒否。信念を曲げず、政治家としての矜持を示した。信念を持たず、時の権力に擦り寄る政治家が多い中で、気骨を持ち、天下国家を論じられる希有な政治家の一人だろう。
 秋までには間違いなく行われる衆院選で新党を作り、政界再編の一翼を担うのか否か。再び運命に弄ばれるのか、それとも脳梗塞で倒れながら奇跡的(?)に政界への復帰を果たした「強運」を発揮するのか・・・。

 3人目は小沢一郎だ。
運命は彼に二度微笑みかけた。一度目は18年前の海部おろしの時。この時、首を縦に振りさえすれば総理の椅子に座れたに違いない。しかし、小沢は頑なに首を横に振った。
 当時、彼は49歳。豪腕、傲慢といわれた男にも謙虚さが残っていたのか、それとも総理の椅子ぐらいいつでも手に入れられると思いあがり、名より実を選んだのか。
 彼は自身のことをあまり語らないから、宮沢政権誕生前夜のことにしても真相はよく分からない。当時、出馬表明していた宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博を小沢が自分の個人事務所に呼び付け面接をしたのは「小沢の傲慢さ」の表れという形で語られることにしても、当日、ホテルの会場が満室でどこも予約できず、小沢が3人の事務所を訪ねようとしたが、支持を頼む方が行くのが当然だろうということになり、結局、小沢は自身の事務所で待つことになったのが真実という話もある。
 事の真相はどうあれ、この男ならあり得る、と思わせる雰囲気が小沢にあったのは事実だろう。
                                             (2)に続く

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