大地三精配合。森下仁丹のカンカ・マカ

 


山本太郎議員の手紙問題の背景を探る(1)


 ついにこういう行動をする者が現れた−−。
山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を直接渡した件である。手紙の内容は福島原発に関することで、「原発事故よる子どもの健康被害や事故の収束作業にあたる作業員の健康状態を知ってもらいたかった」と本人は述べている。
 山本議員の行動に対しては「品位に欠ける」といったような批判が多いように感じるが、最初にこの件をニュースで知った時、非常に危険な流れを感じた。国会議員の品位とかマナーといった問題に矮小化して論じる問題ではないだろう。懲罰動議云々も出ているが、個人的な観点から言えば、山本太郎氏には議員辞職を強く迫りたい。
 不思議なのは今回の行動に批判的な声が現政権と自民党など保守派側から多く、革新系の野党や文化人からはあまり聞こえてこないことだ。民主党議員から批判的な声がほとんどないか小さいのは察しが付くが。

目的のためなら手段は問われないか

 さて問題になるのは、なぜ手紙を渡す相手が天皇でなければならなかったのか、また園遊会の席でなければならなかったのかということだ。
 山本太郎氏が言うように、ただ単に「知ってもらいたかった」だけか。そうではないだろう。その裏には自分の行動が注目される必要があったに違いない。マスメディアや出席者の他の人達から、「山本太郎氏が天皇に手紙を渡したが、何が書かれていたのか」と。
 それを受けて初めて、冒頭の「原発事故よる子どもの健康被害や事故の収束作業にあたる作業員の健康状態を知ってもらいたかった」と説明する腹だったのではないだろうか。
 手紙を読んでもらうこと自体が目的なら多くの人達が集まる園遊会の場でなくてもいいわけで、宮内庁に届ければ済む話だ。それをしないところにすでに「注目されたい」という計算が働いていたはずだ。

 彼の思考回路はおよそ次のようなものだったのではないか。
1.原発には反対である。あるいは反対しなければならない
2.今も原発事故による健康被害で苦しんでいる人達がいる
3.この事実を広く人々に伝える必要がある
4.そのための効果的な手段は何か
5.多くの人が集まる場で、最も注目される形で行うのがいい
6.天皇が原発事故の影響についてコメントすれば世論も政府も動く
7.天皇へ手紙を直接渡そう

 原発事故後の対応は東京電力あるいは国がすべきことで、本来なら訴える相手は政府のトップ、首相であるべきだろう。しかも山本太郎氏は国会議員である。国会の場で質問もできるし、首相に直接訴えることができる立場にある。
 にもかかわらず行政にタッチさえできない天皇に訴えようとしたのはなぜか。
ここに本人が意図しているとしてないとにかかわらず、「目的のためには手段を問わず」という非常に危険な考えを感じる。
 目的が正しければ、手段は問われなくていいのか。答えはノーだろう。かつて大東亜共栄圏という目的を掲げ、日中戦争、欧米との戦争に突き進んでいった軍部や2.26事件の青年将校達の例を引くまでもないだろうが、いずれも当時の絶対的権威の名を借りて自らの目的までを正当化しようとしたのである。

 自らの目的のために他人の権威を利用しようとする動きには注意しなければならない。一見、正義に見える目的の裏になにか他のものが隠されていたりすることはよくある。
 きちんとした理念、哲学を持ってない人間は事柄ごとにブレる。そのあたりの見極めをきちんとせず、「反原発を一緒にやりましょう」と山本太郎議員に早々とラブコールを送った社民党の吉田党首に至っては一体どこを見ているのかと疑ってしまう。
                                               (2)に続く


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