山本太郎議員の手紙問題の背景を探る(2)


なし崩し的に進む皇族の政治利用

 最大の問題は今回の動きが唐突に現れたわけではなく、一連の動き、なし崩し的に進められている天皇の政治的利用の流れの延長線上に出てきたことである。
 今上天皇は戦後制定された憲法の規定を守り、政治とはきちんと距離を置いて来られたし、そうすることを自らに課せられてきたようにも見える。
 ところが近年、逆に政権側の方が天皇を自らに都合よく利用しようという動きが見られだした。
 記憶に新しいのは2009年12月に行われた習近平・中国国家副主席との会談である。天皇が来日する外国の賓客と会見する場合は1か月前までに文書で宮内庁に提出するというルールが定められているが、結局、政権側が宮内庁の反対を押し切る形で習近平副主席との会見を実現させたのである。
 外交は表面だけでは行かないことも承知しているが、それでもその時々で都合よく変えていいものではない。1歩後退が100歩後退になる例は世界の歴史に明らかだ。

 この時の与党は民主党だが、この会見より2か月前の10月、岡田克也外相(当時)が国会開会式で天皇が述べる言葉について「陛下の思いが入るよう工夫できないか」と閣僚懇談会で述べている。
 この程度のことを「天皇の政治利用」と言うのは言い過ぎと感じられるかもしれないが、「天皇は国事行為のみを行い、国政に関する機能を有しない」というのが憲法の定めである。また、私見を一切交えないことで政治との距離を置き、象徴天皇に徹するよう厳しく律しておられるのが今上天皇である。岡田氏が言う「陛下の思い」とはまさか政権交代に対する感想などではないと思うが、政権与党になったことでどこか感覚が狂ったのかもしれない。

 人間有頂天になるとどんどん思い上がるもので、政権に復帰した自民党にも同じことが言える。
 直近では、今年9月に開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会への皇室参加の問題がある。この時、高円宮妃久子様への出席を宮内庁に強く働きかけたのは下村文科相、さらには官房副長官である。
 当初反対していた宮内庁も結局、押し切られる形で高円宮の出席に応じたが、東日本大震災支援への感謝を表すスピーチにとどめる形を取ったのはギリギリの妥協だろう。
 2009年の習近平氏との会見、IOC総会への出席ともに「政治的圧力」があったと、宮内庁長官が後に発言しているように、政治と一線を画そうとする皇室・宮内庁に対し、政権の方は自らに都合よく利用したいという思惑が見て取れる。

 民主党政権下での2つの出来事に対し、天皇の「政治利用」だと厳しく批判したのは当時野党だった自民党だが、その自民党が政権復帰すると今度は同じことをしているのはなんとも皮肉だ。また鳩山由紀夫、小沢一郎、岡田克也の各氏とも元自民党所属議員というのも皮肉としか言いようがない。
 こうして既成事実が少しずつ作られていくのが怖い。不思議なのはマスメディアも野党もそのことを問題にする声が小さいことだ。

 「ゆでガエル」という話がある。一気に熱い湯に入れられれば、カエルは驚いて飛び出るが、カエルを入れた水を少しずつ熱していけばカエルは温度変化に気付かず、最後にはゆでガエルになって死んでしまうというやつだ。
 最も怖いのは「緩やかな変化」だ。軌道修正は早いうちならできるが、誰でも気が付くほど曲がってしまった後では元に戻すのは難しい。
 いかに早い段階でそれに気付き、警告を鳴らし続けるのか。それこそがジャーナリズムの責任である。なのにこのところの大手メディアの対応はどうか。まるで「ゆでガエル」そのものではないか。大手マスメディアにとってジャーナリズムはもはや死語になっているのか。

 さて、今回の件は山本太郎議員に今後、皇室行事への参加禁止という処分で終わった。なんの実効性もなく、問題を個人の資質に矮小化し決着を図った形だ。過去、「天皇制」に対する批判を行ってきた共産党も同調した。野党の思惑は「反原発」を唱えて当選した山本議員の獲得票目当てである。目的が正しければ手段には目をつぶろうという姿勢が垣間見える。
 歴史は繰り返す−−。マスメディア、野党に歴史の教訓と反省からくる行動はなく、自らの死を招くのみか。次にはさらに「非常識」な行動が取る者が現れた時、それを止められるだろうか。その頃には皆すっかり「ゆでガエル」になっているに違いない。

                                               (1)に戻る

血流をよくしたい、血液をサラサラにしたい、そんな方に
初回半額で試せます♪ハウス『天然効果(R)タマネギの力』


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る









イオンショップ