宅配健康食のウェルネスダイニング

 


グローバル化が招いた食の危険(4)
〜グローバル化が招いた結果



グローバル化が招いた結果

 それにしてもなぜ、これほど食の安全性が犠牲になっているのか。結論から言えばグローバル化が招いた結果である。
 問題が起きるたびにトレーサビリティだとか、地産池消だとかいう言葉が繰り返されるが、福岡のスーパーの店頭には長野や北海道産のブロッコリーなど九州外産地の野菜が並び、岡山のスーパーでは福岡や宮崎産の野菜が並んでいる。安いブロッコリーはアメリカ産だし、カボチャに至ってはメキシコ産だ。
 これでは「生産者の顔」どころか、生産現場さえ想像できない。もしかすると農薬漬けされた野菜かも分からないなどと思うと、とても不安で海外産の野菜を買う気がしない。

 地球温暖化が言われ、今夏の異常気象(今夏に限らず、もう数年、同じような状況が続いているが)など明らかに地球温暖化の影響と思われるが、CO2(二酸化炭素)排出量の抑制はどうなったのだろうか。
 またもや総論賛成、各論反対で、地球温暖化防止には賛成だが、消費者が安い農産物を求めている限り海外から輸入して販売するのは当然、農業の国際競争力をつけるためには積極的に海外市場を開拓するべきだ、と言うのだろうか。
 移動コスト(CO2排出量)を考えれば、地元の物は地元か域内で消費する方が生産者、消費者ともに有利なはず。なのにわざわざ遠隔地まで運んで売る。結果、地元で地元産が手に入らないというおかしな現象が生まれている。

 グローバル化ってなんだ。グローバル資本主義って一体なんだろう。もうそろそろ立ち止まって考えてもいいはずだが、「立ち止まれば衰退する」という妙な理論の下、モノもカネもますますグローバル化という名の下に国境を越えていく。
 グローバル化で安い食材が入ってくるのはマイナスではなくプラスではないか。そう考える人がいるかもしれない。
 だが、果たしてそうか。日本とは違い広大な農地で、機械化された方法で大量に生産できるから安く供給できるというが、船賃などの移動コストなどを差し引けば、原価はビックリするほど安くなる。
 それでも日持ちがする商品ならまだいいが、日持ちがしない野菜などの場合はどうか。普通に考えても、生産地の農家が非常に利幅の薄い商売をしているとしか思えないだろう。利幅の薄い商品に手間暇かけたくないのはいずこも同じ。結局、安全性が犠牲になっていく。

 グローバル資本主義とは世界規模での搾取経済にほかならない。安い労働力を求め、その地で生産し、豊かな国の消費者に供給する。現地でモノを作っている労働者は自分達が作っているものを口にしたことも身に着けたこともなく、名前すら知らないことも多い。(横田増生著「ユニクロ帝国の光と影」等参照)

 その一方で、安全安心な食のためには地産池消が必要と考える人達がいるのも事実。そういう声に応えようという動きが以前からあるのも確かだ。だが、なかなか大きな流れにまではなっていない。
 そういう中で注目すべき動きもある。岡山県が今月、スタートした「県産生乳100%認定制度」。
 食関連製品には生産地が表示されているのが一般的だが、牛乳には製造所所在地は表示されていても、牛乳の産地表示はない。ということは、今飲んでいる牛乳がどこ産なのか分からないということだ。製造所は福岡だが中身は福岡産なのか九州各地産の牛乳を混合したものか、あるいは九州外の牛乳も混合されているのか分からずに飲んでいるのだ。
 これでは安全安心とは言えない。同じ飲むなら岡山県産牛乳を飲みたい、という消費者の声が強くなってきたので、消費者が商品を選択する場合に県産牛乳かどうかが分かるようにと、岡山県産のみで製造した牛乳に「県産生乳100%認定マーク」を付けられるようにした。
 こうした動きはグローバル化の対極にあるローカル化だが、これこそが食の安全を守る方法だろう。
 グローバル化は量(売上高)の追及であり、量を追及するから質が疎かになる。
グローバル資本主義から脱し、身の丈に合った経営に立ち戻る時ではないかと思うが、いかが。
 (3)に戻る

【11.6型光沢ワイド液晶搭載】LuvBook Sシリーズ  


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る