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地方を旅する面白さ〜陶板美術に手づくり甲冑(2)


淡路島は変化し続けている

 友人と別れた後、鳴門の渦を見ることもなく、大鳴門橋を渡って南淡路島に着いて1泊。翌日は北淡路島に向かい県立あわじ花さじき、国営明石海峡公園で花の撮影を楽しみ、夕方には岡山県北東部の実家着というコース。
 北淡路島までは岡山県北東部から2時間余りで行けることもあり、昨秋のコスモスの時期、今春の菜の花に続いて3回目。丘一面に広がる花の景色を彼女に見せてやりたいと思っていたが、今回は端境期に当たったのかポピーの花が丘一面を埋め尽くすという光景には出合えなかった。
 そこで花さじきは短時間で切り上げて国営明石海峡公園に移動した。この時期はネモフィラが広がっている景色が見られるはずだったが、少し前の風雨にやられ無惨な姿に。それでも他の花々をゆっくり楽しむことが出来たのでよかった。

 淡路島は花とタマネギと断層だけではなく、最近は若者人口が増えていることで注目されている。パソナグループの移転によるもので、移転は一部の部署だけではなく本社機能そのものが丸ごと移転してきた。そう、よくある研究開発部門だけを移転し、「地方移転」などとPRする企業が多いが、同グループは総務部も移転。そのため社員の移住も進み淡路島の人口が増えただけでなく、北淡路島の景色が変化し、地元には歓迎する声と戸惑いの声の両方が聞かれる。

 戸惑いはパソナグループの移転、施設建設が急すぎたことによるもので、もう少しゆっくりと進めてよかったのではないかと感じた。「ニンゲンノモリ」などのテーマパーク的な施設建設により、若者を中心とした観光客は増えているが、その一方で景色が変わり、地元住民や自然の風景を楽しみに来る人達は違和感を持つかもしれない。下手すればパソナグループによる囲い込みのような地域になる可能性がないとも言えないので、時間をかけて地元に人も会社も溶け込むような関係を築いて欲しいものだと感じる。
 10年後の淡路島はどうなっているだろうか。東京ディズニーランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のような場所になっているか、それとも地方に溶け込んだ地方再生のモデル地になっているか。

高瀬の手作り甲冑製作所

 GW最後の日に帰福し、6月最初の週末は玉名市高瀬裏川の花ショウブの写真撮影と玉名温泉の1泊旅行に出かけた。
 私の場合、旅行は必ず撮影とセットで、撮影ポイントが近くにあることが条件になるから、言うなら撮影旅行。それも数週間前から計画を立ててということはよほど遠方でない限りはなく、大抵1週間くらい前に花情報を仕入れ、急に思い立ち行動するというパターンが多い。その割にはよく宿泊場所を押さえられている。それも直前の予約で、この料金なら文句なしというコストパフォーマンスのいい宿が。まあ、ほとんどの場合、宿探しが上手な彼女のお陰だが。

 地方を旅すると思わぬ発見をしたり、人と出会うことがあり、それも旅の楽しみの1つだ。玉名もそうだった。写真を撮り終えた後、商店が立ち並ぶ昔のメーン通りをブラブラと歩き、もう引き上げようと踵を返しかけた時、小さな小屋のような、店の倉庫のような建物が目に入った。
 表に看板が出ていないので店ではなさそうだが、道路に面してショーウィンドーのようにガラス張りになっているところを見れば洋品店の跡だろうかなどと考えながら立ち止まり眺めるともなく眺めていた。



 ショーウィンドーの向こうに年配の男性が1人腰掛けているのが見えたが、その後ろに見えるものに興味を惹かれた。甲冑姿の武士のようなものが目に入ったので近づき中を見つめていると、こちらの視線に気づいたのだろう、男性が立ち上がりドアを開けて「どうぞ、どうぞ、中に入って見て下さい」と招き入れられた。
 そこで目にしたのは具足を着けた5体ぐらいの甲冑。「ほー、これは素晴らしい。手づくりですか」と尋ねると、中にいたもう1人の男性が「全部手づくりです」。
「いやあ素晴らしい。ここでこんなものに出合えるとは。九州ではもう1、2箇所ありませんでしたか、造っているところが」
「鹿児島の薩摩川内にあります。黒澤監督の映画やTVの時代劇などでも使われています。あそこは30人ぐらいいますから」
「これを造られたのは?」
「私です」
「お一人で? 元々は何をされていたんですか」
「サラリーマンです」
「えっ、サラリーマン? その頃から甲冑づくりに興味がおありで、脱サラして本格的に始められたんですか」
「いや、退職してからです」

 なにやら話がどんどん面白くなってき、こちらの興味は尽きなかったが、話の中で分かったことは手づくり甲冑を造っている男性は高瀬で昔羽振りがよかった廻船問屋の6代目になるが、廻船問屋は祖父の時代までらしく、親の代からはサラリーマンとのことだった。
 6体飾ってあった甲冑の内1体だけは黒田武士が着用していた鉄製の本物で、残りはプラスチック製とのこと。「兜は工事現場のヘルメットを加工してつくっています。鎧の威し糸は100均ですよ。軽くしないと」。
 10年近く前までは熊本城や福岡県秋月城の武者行列に甲冑を身に着けて参加したこともあるとのこと。
「プラスチック製でも全部身に着けると20kgありますからね、これで立ち回りをやるのは結構きついんです」

 最初に招き入れてくれた男性も交え3人で話が弾み、宮本武蔵の二天一流や武蔵の墓などにも話が及んだので、私が二天一流の宗家は大分県にいて、先代の宗家には会ったことがあるし、熊本に残っているのは青木流二天一流と話すと、こちらが詳しいことに少し驚いていたようだが、逆に私の方は彼らはどういう仲間なのだろう、特にショーウィンドー近くに腰掛けていた男性はいやに武術に詳しいが、と疑問に思い、繋がりを尋ねると居合道仲間ということだった。
「ほうき流居合です」
「伯耆というのは人偏に白いという字と老人の老に日を書く・・・」
「ええ、知っていますよ。鳥取県の伯耆ですよね」
 まさか九州の人間が伯耆を知っているとは思わなかったのだろう。一瞬驚いたような目をした後「地名の伯耆とは関係ないんですが、昔は筑前守とか名乗っていたでしょ。開祖が伯耆守(ほうきのかみ)と名乗っていたので、当流を伯耆流居合と言っています」

 小1時間もそんな話をしていただろうか。もっと色々話を聞きたかったが、宿にチェックインする時間もあったので、その辺で切り上げ玉名温泉に向かったが、地方に旅すると時々予期せぬ出会いがあり、それが旅の面白さを増してくれる。


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